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登場人物の未来を想像 米澤穂信さん

参加者と談笑する米澤さん/撮影=首藤幹夫

 若者のための読書会「オーサー・ビジット校外編」(主催・朝日新聞社、出版文化産業振興財団)の第26回が、山本周五郎賞受賞作家・米澤穂信さんを迎え、名古屋市内で開かれました。『いまさら翼といわれても』(KADOKAWA)を読んできた中1から大学生の参加者69人は、世代別の班に分かれ、読書会に臨みました。

米澤穂信さん@名古屋

 高校で廃部寸前の古典部に入った折木(おれき)奉太郎。「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」がモットーなのだが、古典部で出会った千反田(ちたんだ)えるや中学からの友人の福部里志と伊原摩耶花から頼まれ、学校生活で起きる謎や事件を渋々解明していく――。
 人気青春ミステリー「古典部」シリーズ。6作目の『いまさら翼といわれても』は、4人が自らの過去と未来に向き合う短編集だ。
 本書の1編、表題作「いまさら翼といわれても」では、市主催の合唱祭でソロパートを歌う予定の千反田えるが本番前に行方不明に。奉太郎は、里志や摩耶花の協力を得ながら、えるの居場所、そして彼女が失踪した真意を導き出していく。
 読書会が盛り上がる中、米澤さんは参加者にこう呼びかけた。
 「物語は、千反田が身を隠していた場所から姿を見せないまま終わっています。その後、彼女は出てきたのか、そして会場に向かったのか、さらには歌ったのかどうか。作品では描かなかった先を班ごとに考えてみてください」
 各班で一斉に議論が始まった。休憩時間も惜しんで盛んに意見を出し合い、いよいよ発表へ。
 中学生の班は「出てくる」と意見をまとめた上で、物語に続く文章を考えたという。「俺はお前の歌が聴きたい。ああ、千反田の前では調子が狂う。そう思って俺は頭をかいた」。奉太郎の思いをイケメン風に描いたという一文に会場はどっと沸き、拍手が起きた。
 「家を継がなくていい、自由な道を選んでいいと言われたことへの戸惑いや反抗の意思表示として出てこない」「千反田は責任感が強いから、出てきて歌う」「責任感が強いから出てきて会場に向かうけれど、自由への憧れをストレートに歌う内容のソロパートは歌わない」……。各班からは様々な意見が発表された。
 板塀をノロノロと登るかたつむりや、強まりも弱まりもしない雨の描写を「決めきれない気持ちの象徴」と解釈する班や、「千反田のように芯のある人がその芯を折られたとき、頭ではわかっていても簡単には動けないはず」と発表した班も。参加者の深い洞察に「なるほど」とうなる米澤さん。「これほど作品を読み込み、登場人物のことを考えてくれたことがうれしい。千反田に代わりお礼を言います」と笑顔を見せた。
 参加者からは創作活動にまで迫る質問が次々と飛んだ。そんな中、「読んでも意味をくみ取れない難しい本があると悔しい。どうしたら理解できるようになりますか?」との問いが。米澤さんは「広く長く読まれているはずの本に歯が立たないのは、読み手の準備がまだ整っていないということ。本を読むには勉強が必要です」とし、こんな言葉を贈った。
 「悔しいかもしれないけど、その本はいったん置いて他の本を読んでみる。そして、様々なことを勉強し経験を積んでもう1回戻ってくる。すると『そういうことだったのか!』とわかることがあります。そんなふうに読めない本が読めるようになったり、若い頃に読んだ本を年を重ねてから改めて読むと新しい発見があったり。それが本を読む楽しみなのです」
 (ライター・中津海麻子 写真家・首藤幹夫)

<読書会を終えて>

 那須優花さん(中3)「班で私以外は全員男子。男子視点で見た物語の捉え方がすごく新鮮でした」
 大川陸さん(大4)「タイトルを漢字にするかひらがなかで印象が変わる。そのこだわりに驚きました」
 米澤さん「真剣に作品に向き合ってくれている姿に感動です。小説家が書いたものを箱に入れて土に埋めても小説にはならず、読まれて初めて完成する。古典部シリーズを小説にしてくれたのは、読者の皆さんだと改めて痛感しました」=朝日新聞2017年08月27日掲載