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須賀しのぶ「また、桜の国で」書評 戦争の悲しみ、民族超えて共有

評者: 原武史 / 朝⽇新聞掲載:2016年12月04日
また、桜の国で 著者:須賀 しのぶ 出版社:祥伝社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784396635084
発売⽇: 2016/10/12
サイズ: 20cm/497p

また、桜の国で [著]須賀しのぶ

 ポーランドの首都ワルシャワの郊外を歩いていると第2次大戦末期の1944年、ナチス・ドイツの占領に対して国内軍が武装蜂起した「ワルシャワ蜂起」の慰霊碑や慰霊塔をよく見かける。だがそれは、ワルシャワが体験した戦争のほんの一部にすぎない。東京とは異なり、ワルシャワでは39年の勃発から45年の終結までずっと戦争の惨劇が繰り返されたからだ。
 日本でそれほど知られていないこの時期のワルシャワを舞台に、一人の在ポーランド日本大使館外務書記生の運命を描いた小説が本書である。難しい外国語や資料の制約など幾重もの壁を乗り越え、これだけのスケールをもった小説に仕立て上げた著者の構想力に心を動かされる。
 言うまでもなく戦争とは国家と国家の戦いである。そこでは各人がどの国家に属しているかを問われる。誰が「友」で誰が「敵」かが問われるのだ。しかし本書に登場する主人公は、日本人でありながら同盟国であるドイツに蹂躙(じゅうりん)されるワルシャワでポーランド人とともに戦う。そしてワルシャワ蜂起では体を張ってドイツ軍の戦闘行為をやめさせようとする。
 このとき、主人公と行動を共にしていたのは、アウシュビッツから奇跡的に生還したユダヤ人と、日本の敵国であるはずのアメリカ人であった。3人は民族や国籍の壁を超え、戦争の惨劇を繰り返してはならないという思いを共有するに至る。そんなことが可能だろうかといぶかしむ向きもあろう。所詮(しょせん)はフィクションではないかという声も聞こえてきそうである。
 だが私はそうは思わなかった。ワルシャワは、第2次大戦の前にも分割によって国を失う悲劇を体験している。そうした悲しみの歴史に寄り添おうとする著者のワルシャワに対する愛情には、深く胸を打つものがある。この町を歩いていると、日本人であることを忘れそうになる瞬間が確かにあるのだ。
    ◇
 すが・しのぶ 72年生まれ。作家。『神の棘』『芙蓉千里』『エースナンバー』、『革命前夜』(大藪春彦賞)など。