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個人の独自性から時代に迫る 鈴木道彦さん「余白の声―文学・サルトル・在日——鈴木道彦講演集」

 プルースト『失われた時を求めて』の全訳で知られるフランス文学者は、なぜ「在日」問題に取り組んだのか。その理由を含む、講演6編をまとめた。
 プルーストと出会ったのは18歳の時。「私とは何か、という幼稚な関心でした」と言うが、のちに研究のテーマになった。
 1954年、パリへ留学すると、フランスからの独立を求めるアルジェリア戦争が勃発した。「テロだ」と批判する世論に対し抵抗するサルトルに、関心を抱く。「これは帝国と植民地の問題だ。日本にも旧植民地の問題がある」と気づいた。
 帰国した58年に小松川事件が、68年には金嬉老(キムヒロ)事件が起きる。どちらの犯人も「日本語しか話せない在日朝鮮人」で、そういう存在を作り出した日本人の「民族責任」を考えた。
 金嬉老事件では、裁判の傍聴や、支援団体の「ニュース」への執筆などを、裁判終了後まで8年半続けた。「当初、ものすごい数の人が集まったが、スーッといなくなった。日本の知識人はこんなものか、と思いました。支援すると言った以上、やらなければいけないのは当然のこと。まあ、意地でしたね」
 その後研究に戻り、改めてプルーストと向き合った。85年、『失われた時を求めて』の全訳を依頼される。「10年はかかる仕事です。人生で何をやるか、という選択でした」
 92年に作品の構造がわかる「抄訳版」を出すと、話題になった。2001年、全13巻を訳し終える。「プルーストは難解だと言われますが、言っていることは明快です。細かい観察をしながら、全体がちゃんと生きている。個人の独自性を問いつめていけば、その時代の普遍性に迫ることができるのです」
 父・信太郎もフランス文学者だった。その蔵書は独協大学図書館に、家は東京都豊島区に寄贈し、3月に鈴木信太郎記念館となった。戦前に建てられた書斎は、天井まである書棚やステンドグラスが独特の空間で、時が止まったようだ。
 50年前、5月革命のパリにいた。「当時書いたメモがあるので、それを再構成し、旧稿を集めて『私の1968年』という本を作ろうと思っています」
 (文・石田祐樹 写真・篠田英美)=朝日新聞2018年5月19日掲載