この小説の魅力を語るのは難しい。経済小説であり、犯罪小説であり、ハードボイルド小説であり、恋愛小説でもあるのだが、そういうジャンルに押し込もうとすると、魅力がどんどんこぼれていく気がするからだ。
文章が滑らかで気持ちいいこと。どこか甘く、懐かしい香りが漂っていること。遠い昔のことをどんどん思い出すこと。小説を読むということは文章を読むということなのだが、その基本的なことを改めて感じること――そう言っても間違いではないが、これもまた一つの特徴にすぎないような気がする。
だから、こう言い換える。高校時代にちょっと気になる女の子がいて、特になにがあったわけではないのだが、それからも折に触れて彼女を思い出すそういう経験のある中年男性に本書をすすめたい。あるいは企業の第一線で仕事をしながらも、特に将来を考えず、恋人がいても結婚を夢見ず、そして友人のいない中年男性に本書をすすめたい――こう言うのがいちばん正確なような気がするが、これは本書にはどんな人が向いているかという読者分類であり、本書の内容を語ってはいない。
そうか、もっと具体的に書いておこう。年上の上司にして恋人となる由記子、同級生にして同僚の伴を始めとして、ビジネスとして優一を助けるカイザー・リー、優一のボディガードとなる蓮花にいたるまで、登場人物がとてもリアルに鮮やかに描かれているのがいい。さらに、過去と現在を巧みに交錯させる絶妙な構成がいい。そしてなによりもいいのが、センスあふれる文章だ。
読み始めるとやめられなくなる。これほど素晴らしい小説はそうあるものではない。単行本のときは売れなかったというのが信じがたい。それでも文庫にして多くの読者を摑んだというのが嬉しい。しかし私にいわせればまだ足りない。もっともっと売れていい。もっと広く読まれるべきだと思うのである。
◇
ハヤカワ文庫JA・1080円=12刷6万2千部。単行本は14年刊。若手社員が「良作が埋もれてしまう」と訴え、17年9月に文庫化でリベンジ。東京・吉祥寺の書店から火が付いた。=朝日新聞2018年6月9日掲載
編集部一押し!
- とりあえず、茶を。 知らない人 千早茜 千早茜
-
- 朝宮運河のホラーワールド渉猟 瑞々しく、ときに切ない青春ホラーの収穫 梨、芦花公園、福澤徹三を読む 朝宮運河
-
- 新作舞台、もっと楽しむ 瀬戸康史さん舞台「A Number―数」インタビュー クローン含む1人3役「根本は普遍的なテーマ」 五月女菜穂
- 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」 自力優勝が消えても、私は星を追い続ける。アウレーリウス「自省録」のように 中江有里の「開け!野球の扉」 #17 中江有里
- BLことはじめ 「三ツ矢先生の計画的な餌付け。」 原作とドラマを萌え語り! 美味しい料理が心をつなぐ年の差BL 井上將利
- 谷原書店 【谷原店長のオススメ】梶よう子「広重ぶるう」 職人として絵に向かうひたむきさを思う 谷原章介
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構
- インタビュー 崖っぷちボクサーの「狂気の挑戦」を切り取った9カ月 「一八〇秒の熱量」山本草介さん×米澤重隆さん対談 PR by 双葉社
- インタビュー 物語の主人公になりにくい仕事こそ描きたい 寺地はるなさん「こまどりたちが歌うなら」インタビュー PR by 集英社
- インタビュー 井上荒野さん「照子と瑠衣」インタビュー 世代を超えた痛快シスターフッドは、読む「生きる希望」 PR by 祥伝社