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母のおこし 原田宗典

 実家にて。煙草(たばこ)を吸いにベランダに出ると、エアコンの室外機の上に何か置いてある。ザルに入れた米である。天日干しをしているのだ。
 ああ、なつかしいな。
 その昔、炊飯器に保温機能がついてなかった頃には、どの家庭でも残った米をこうして天日干しにして「干し飯(いい)」を作っておいたものだ。縁側などに新聞紙を敷いて、そこに米粒を撒(ま)いて天日に晒(さら)す。それをスズメがついばんだりする光景は、ごく日常のものだった。
 うちの母はもともと農家の出身だから、米を大事にすることは人一倍である。それは八七歳になった今でも、まったく変わらない。炊いたご飯は一粒たりとも無駄にしない。冷や飯はおにぎりにしたり、お茶漬けにしたりして、おいしくいただく。それでも食べきれない場合には、こうして天日干しにして、おこしを作るのだ。そこには何か執念のようなものを感じてしまう。
「おこしを作るんだね」
 台所のいつもの席に座っている母にそう問いかけると、
「そうだよ」
 とややはにかんだ笑みを浮かべて答える。これは、冷や飯をそのまま干すのかと訊(き)くと、
「いんや、水で洗って、ぬめりを取ってから干すんだよ」
「それから、どうするの?」
「素炒(すい)りするんだよ。小さい火でね」
「油は使わないの?」
「使わない。小さい火でよおく炒るのさ。で、別に砂糖醬油(さとうじょうゆ)を煮ておいて、そこへ入れるの」
 母は事細かに説明してくれた。口調が、ちょっと得意げである。それを聞きながら、私はもう二十年以上も前にある人から聞いた、米のエピソードを思い出していた。カンボジアで地雷除去をボランティアでやっているその人は、紛争地における食料の重要性を説きながら、私にこんなことを尋ねてきたのだ。
「有史以来、人類は米を何回収穫してきたと思う?」
 急な問いだったので返答に窮していると、その人は真剣な顔でこう言った。
「たったの二千回だ。米っていうのはそれだけ貴重なものなんだ。人が一生かけても百回も作れねえんだ」
 なるほど、と私は感心した。こんな単純なことに気づかずにいた自分が、何だか情けなかった。
 同じ問いを母に投げかけてみようかな、とも思ったが、私は止めておいた。おこしの作り方を得意げに話す母の気持ちに水をさすのは、親不孝というものだ、と思ったからだ。=朝日新聞2018年6月2日掲載