「オリンピックで金メダルをとる」。高藤直寿さんが柔道を始めた頃からの一番の夢だ。
そして今年の4月、高藤さんはもうひとつの夢舞台に立った。日本武道館で行われる全日本選手権。体重無差別で争われるこの大会は、名実ともに「日本最強」を決める戦い。体重差はそのままパワーの差に直結する。100キロを超える選手がほとんどの中、最軽量の60キロ級の選手が出場するのは異例だった。「全日本選手権は柔道家なら誰でも憧れる舞台。やっと念願がかないました」
「日本一」を宣言して挑んだが、初戦で100キロ級の石内裕貴選手と対戦して1本負け。高藤さんは試合を振り返り「勝ちに行ったのに悔しい。体を作って準備できれば、もっと戦えたはず」と無念さを語る一方で「強い相手と戦えたのは楽しかった」と笑顔を見せた。
「60キロ級では、僕を研究してきた相手と戦うことがほとんどだから、試合を純粋に楽しむ感覚って、実はなかなかないんです。今回が最初で最後のつもりだったけど、もう1回挑戦したくなっちゃいました。それに一番強いやつを決めるっていう意味では、『グラップラー刃牙(バキ)』の地下闘技場みたいでしょ(笑)。やっぱり燃えますよね」
柔道を始めたのは7歳の時。やんちゃで喧嘩っ早い少年だった。その有り余るエネルギーを発散させるために家の近所の道場に通い始めると、才能はすぐに花開いた。「喧嘩の延長というか、相手を思いっきり投げられるのが楽しかった。コーチに教わったことはすぐできたし、強い人の技を真似して自分のものにするのも得意でした」
小学5年の時に全国大会で初めて優勝したのを皮切りに、中学、高校でも国内外の大会で優勝を重ねた。そして2012年、大学1年の時にシニアの国際大会で初優勝を遂げると、その後2年ほどの間に世界選手権を含む8つの国際大会を連続で制覇。いわく「一番勝てていた時代」の快進撃だった。
高藤さんは自分の強みとして「一瞬の判断力と対応力は誰にも負けない」と胸を張る。わずかなスキを逃さず、組手をしっかり持たない状態からでも次々と技を繰り出していく、攻撃的で変則的なスタイルは「真似できない柔道」と評される。
「日本の柔道選手は、自分の得意なパターンに相手をはめるのがうまいんですけど、僕は相手の動きに合わせながら、その瞬間瞬間で一番ふさわしい技をかけていく。組手や入り方のバリエーションも入れると、技は100パターンくらいあるんじゃないかな。頭で考えるというより、相手の重心や傾きなどを体で瞬時に判断して動いている感じですね」
当たり前のように、さらりと言う高藤さんに「どうしてそんな動きができるんですか?」と素人の疑問をぶつけると、「やっぱり、センスですよね」と笑って、言葉をつないだ。「僕は自分のセンスや長所を努力で必死に磨いてきたつもりですし、そのおかげでけっこう順調な柔道人生を歩んでいると思います。……と言ってもリオオリンピックをのぞいて、ですけど」
2016年、高藤さんはリオデジャネイロで五輪初出場を果たした。金メダルの期待を背負い、頂点だけを見ていた。自信もあった。ところが試合当日、極度の緊張に襲われ、経験したことのない精神状態に陥った。
「ヤバい今日、夢が叶う! 優勝インタビューでなんて言おうか」「でも負けたら日本に帰れないな……。ああもし、試合中に足が滑ったらどうしよう?」
「舞い上がる気持ちと怖さが一気に押し寄せて、わけわかんなくなっちゃって。プレッシャーもあったけど、なによりオリンピックは特別なんだと、自分の中で“魔物”を作り上げてしまったんだと思う」。2回戦、3回戦は勝利したものの、続く準々決勝で逆転の1本負け。その瞬間、我に返った。「呆然でした。何やってんだ俺は、と」
金メダル以外は意味がないと思っていた高藤さん。負けた直後は「すべてがどうでもよくなって気持ちもボロボロ」だったが、1日に2回も負けたくないと心を奮い立たせ、敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルをつかみ取った。窮地から意地を見せた高藤さんに続き、日本柔道の男子は全階級でメダルを獲得した。
「これで自分だけメダルがなかったら最悪でしたよ。銅メダル、意味ありました(笑)。とれて本当によかった」
4年に一度のオリンピックで、いかに“いつも通り”の状態で畳に立てるか。その大切さを思い知ったと高藤さんはいう。そして、順調だった道のりで大きく躓いたことで、柔道とより真摯に向き合えるようになった、とも。
「思えば勝てていた頃は、自分の発言だったり周りの人への対応だったり、大人げない部分もあったなと感じます。強いだけでなくトップ選手としての自覚を持って、支えてくれる人への感謝の気持ちを忘れずに柔道をしたいと、今は思っています」
高藤さんは昨夏、2度目となる世界選手権の優勝を果たし、12月のグランドスラム・東京でも優勝した。現在の世界ランクは2位(2018年5月時点)。2年前より確実に、オリンピックの金メダルに近い距離にいる。2020年までは「金メダルへの欲むき出し」で突っ走るつもりだ。リオの屈辱があったからこそ1番がとれたと、最後に笑えるように。
「東京オリンピックでは、泥臭くてもてっぺんにこだわりたい。そのために、リオの時のような“まさか”の状況にも備えるし、すべての面で万全にしていきます。今は正直、2020年が待ち遠しいんですよね。金メダルをかけた自分に早く会いたくて。え、金メダル獲ったら? 『超気持ちいい~~』って言います!」