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「世界史のなかの中国―文革・琉球・チベット」書評 「普遍」と「特殊」、二つの観点交差

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2011年03月06日
世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット 著者:汪 暉 出版社:青土社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784791765867
発売⽇:
サイズ: 20cm/351p

世界史のなかの中国―文革・琉球・チベット [著]汪暉

 著者は私が最も信頼する現代中国の思想家である。魯迅研究者として出発した著者は、天安門事件で弾圧された後、より広い領域に踏み入った。しかし、ある意味で、彼はより魯迅的な道を歩んでいるようにみえる。すなわち、一方で世界的な知的状況に通暁すると同時に、他方でつねに、中国という特殊な文脈の下に考えようとしてきたのである。それが彼を独自の存在にしている。
 本書にも、その二つの観点がある。一つは普遍的に世界的状況を考え、中国をその中において見ることである。現在の世界に支配的な傾向は、著者の言葉でいうと、「脱政治化」である。これは、つぎのようにいうとわかりやすいだろう。たとえば、1990年以後、「資本主義」のかわりに、もっぱら「市場経済」という言葉が使われるようになった。それは資本の蓄積が資本と賃労働という階級関係にもとづくことを無視し、また、資本主義経済が自然的・永続的であるかのように考えることである。
 このような脱政治化が日本や先進資本主義国でおこったが、実は、中国でも同じであった。「社会主義的市場経済」の名の下に、資本主義経済(新自由主義)が急激に進行し、各地で深刻な階級対立が生じたのである。ところが、それはナショナリズム、エスニック・アイデンティティー、あるいは人権問題などの「政治」にすり替えられた。それらは政治的に見えるが、脱政治的なのだ。
 本書におけるもう一つの観点は、中国における特殊な問題から普遍的な認識を引き出すことである。現在の中国の民族問題を理解するためには、清朝によって拡大された冊封体制(朝貢関係)を考える必要がある。近代西洋に始まる主権国家の観点から見ると、朝貢関係は支配—従属関係でしかない。しかし、朝貢は実際には交易であり、帝国は他国の政治や文化にはまったく干渉しない。朝貢関係は交易や平和を保障する国際的システムなのである。そのようなシステムが「帝国」だとすれば、相手を主権国家として認めた上で、資本主義的経済に巻き込んで文化的にも同化してしまうのが「帝国主義」である。西洋列強は、「帝国」の下にある諸国家を、従属状態から解放するという口実の下に支配したのである。
 この朝貢関係というシステムについての理解は、現在のチベットの問題を歴史的に理解するために不可欠である。のみならず、それは周辺諸国をふくむ東アジアの政治的構造を理解するためにも必要である。たとえば、現在の沖縄の基地問題にしても、清と日本の両方に朝貢していた琉球王国が、近代的原理に立つ日本国家によって滅ぼされ領有化されたという経緯を知らずして論じることはできない。むろん、著者は清朝の政治システムを称賛しているのではない。ただ、朝貢関係や儒教の伝統に、複数の「システムを跨(また)いだ社会」の原理を構築するためのヒントを見ようとしているのである。
 〈評〉柄谷行人(評論家)
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 石井剛・羽根次郎訳、青土社・2940円/Wang Hui 59年、中国江蘇省生まれ。清華大学人文社会科学学院教授。米コロンビア大学、東京大学などで客員教授を務めた。邦訳に『思想空間としての現代中国』。