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多和田葉子「地球にちりばめられて」書評 新しい言葉でつながる越境の旅

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年06月30日
地球にちりばめられて 著者:多和田葉子 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784062210225
発売⽇: 2018/04/26
サイズ: 20cm/309p

地球にちりばめられて [著]多和田葉子

 突然日本が無くなってしまう。そして北欧に留学中のHirukoは戻る場所を失う。だが日本語を話す相手がいなくても彼女は悲しまない。共に旅してくれる友人たちがいるからだ。
 彼女は自分で作った言葉、パンスカで話す。「汎スカンジナビア」の略のこれはデンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語が絶妙に混ざった言語だ。どの話者も理解できるが、どの話者にも違和感がある。
 なぜ彼女は英語でしゃべらないのか。健康保険が整わないアメリカに送られたくないからだ。しかも英語はビジネスの言葉で、意味は伝わっても気持ちは伝わりづらい。相手の気持ちを想像する前に、分かった気になってしまうからだ。
 その点パンスカは素晴らしい。母国がない言葉だから、ネイティブ・スピーカーになんて従わなくていい。周囲の人々の声を耳で聞くうちに自然と生まれた言葉だから、誤解が次々と生まれる。そこから思わぬ詩的な連想が働く。
 たとえばこうだ。ハマチとハウマッチは同じ意味かな。タコはタコスの単数形で、マッチャはマッチョみたいなもの。これらはただの間違いではない。こうやって手持ちの知識を駆使して新しい言葉をつかみ取ろうとするとき、人は子ども時代に帰っているのだ。
 彼女は日本語話者を求めて旅をする。だがノルウェーで出会ったのは、たどたどしい日本語を話すイヌイットの鮨職人、ナヌークだった。そしてフランスで見つけた日本人のSusanooは失語症だ。
 口をぱくぱくするだけの彼を見て彼女は思う。「聞こえないけれど理解できるから不思議ね」。そして何より大事なのは、相手と共に時間を過ごし温かい気持ちを交わすことだと気づく。
 本書を読んでいると嬉しくなる。鮨やアニメは他の文化と交配し変化しながら人々の人生を豊かにする。だから本物と偽物の区別など不要だ。こうして新たな肯定の文学が生まれた。
    ◇
 たわだ・ようこ 1960年生まれ。小説家、詩人。ドイツ在住。『犬婿入り』で芥川賞。『雪の練習生』で野間文芸賞。