加藤楸邨創刊、社会とのきしみ見据える
戦後俳壇を代表する俳人で、朝日俳壇の選者も長く務めた加藤楸邨(しゅうそん)が創刊した俳句誌「寒雷(かんらい)」が78年の歴史に幕を閉じる。6月末発行の7月号(通巻900号)が最終号となった。
「寒雷」は1940年、「伝統の尖端(せんたん)に我々の新しい歩みを常に据えてゆきたい」(41年発行の「寒雷」から)との志で楸邨が創刊。金子兜太や沢木欣一、森澄雄らも参加し、社会性俳句など多様な作品の発表の場になった。93年に楸邨が亡くなって以降は、主宰者を置かずに同人会が運営していた。一般投句の選者は、楸邨の次男の妻である加藤瑠璃子さんが務めた。
「俳句界」編集長で楸邨に師事した河内静魚(せいぎょ)さんは「人が社会で生きていく上でのきしみや嘆きを五七五に落とし込むのが『寒雷』の精神。今のような世の中で、『寒雷』の名が消えるのは寂しい」と終刊を惜しんだ。
8月号からは、寒雷同人会が新たに「暖響(だんきょう)」という誌名で後継誌を発行する。これまで「寒雷」の編集長だった俳人の江中真弓さんが投句の選者を務める。江中さんは「楸邨の俳句理念を継承、発展させる活動を、新誌でも続けていきたい」と話している。(樋口大二)=朝日新聞2018年7月4日掲載