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#2 大学院生が放った、ドラマのようなセリフ ドイツ・ミュンスター

ドイツのミュンスターにある市庁舎にて撮影

 ドイツ人で大学院生のトムと出会ったのは、世界一周旅行中に訪れたエルサレムだった。旧市街のフリーツアーで出会ったのだが、一人で旅をしている者同士、滞在したホステルもたまたま同じだったし、なんだか妙に気が合ったので、イスラエルの旅はほとんど行動を共にしていた。

 イスラエルで一旦別れてから、およそ2週間後、彼の地元であるドイツのゲルゼンキルフェンに3日間ホームステイをさせてもらうことにした。ゲルゼンキルフェンはドイツ西部にある都市で、サッカーの強豪「FCシャルケ04」の本拠地で知られている(「地元の宗教はサッカーだ」とトムは言っていた)。

 そのホームステイ初日。ゲルゼンキルフェンから、三十年戦争の講和条約締結の地ミュンスターまで彼の車で移動したのだけれど、どうも元気がない。

 「・・・・・・どうしたの?具合でも悪い?」

 そう尋ねると、トムは深呼吸をしてから言った。

 「台湾人の女性との間に子供ができたかもしれないんだ」

 一瞬、何を言っているか分からなかった。ドラマのようなセリフを生で聞くとは思ってもいなかった。まして、トムはとてもいい人だけれど、女性の扱いにはそこまで慣れていない青年だったから驚いた。

 トムは私とイスラエルで出会う前、オーストラリアや日本などを旅していたのだが、聞けば、そのオーストラリアの旅で出会った台湾人のアリスと“いい感じ”になったという。それ以来数ヶ月何も連絡をしていなかったけれど、前日に突然メッセージが送られてきたそうだ。

 「あれから生理が来ないって。どうしよう、僕、まだ父親にはなりたくないよ」

 35歳の子持ちでバツイチのアリスと、大学院生で彼女なしのトム。ほんまかいな、裏があるんやないのとどこかで思いながらも、とりあえず車の内でトムの話を聞いて、彼の気を落ち着かせるのが私の役目だと思った。

 「生理が来ないことが必ずしも妊娠しているとは限らないよ。まぁセックスしたのが排卵日の前後だと妊娠の可能性が高いかもしれないね」

 ・・・・・・そう言いたかった。そう言いたかったのだけれど、私の拙い英語力ではそもそも〝排卵日〟という単語が思い浮かばず、egg of humanなどと進化論を無視した造語も頭をよぎったが、世の中便利なもんで、Google先生に聞いたら“day of ovulation”ということを教えてくれたので、それでなんとか伝えた。

 まずは事実関係をはっきりさせるべく、アリスに電話をかけさせた。いつも穏やかな口調のトムだったけれど、この時ばかりは鋭い口調で声を張り上げていた。

 「アリス?メール読んだ。頼む、検査を受けてくれよ。忙しいのはわかるけど」

 「トム!」。スピーカー越しに聞こえるアリスの声はとても驚いていて、興奮している様子。まさか電話をかけてくるとは思っていなかったのだと思う。少し間をおいて、冷たく言い放つ。「いつもあなたは自分のことばかりね」

 「違うよ、二人の問題だからこそ言っているんだ」と、折れないトム。

 15分ぐらいの短い電話だったけれど、車の助手席で2人の会話を聞いていた。どこかの昼ドラを見ているようだった。散々電話口で喧嘩して、ようやく妊娠検査を受けることを約束させた。

ミュンスターの中心にある聖ランバート教会。尖塔に吊るされた檻は処刑された死体を入れていたという……。

 それで結局、アリスからトムにメッセンジャーで送られてきた妊娠検査薬の表示は「未孕」。アリスは妊娠していなかった。

 トムの気を引くための“偽装工作”だったと私は見ている。個人的にはとても鮮烈なエピソードでミュンスターの美しい街並みよりも何よりも印象に残った出来事だったが、まぁ結果、良かった。トムは気が気でなかったと思うけれど、3日間、ホストとして私をアテンドしてくれた。いいやつだ。感謝している。

 帰国後、斎藤美奈子の『妊娠小説』という本を見つけた。「望まない妊娠」が登場する「妊娠小説」というジャンルにスポットを当てた評論だ。森鴎外の『舞姫』などの戦前の本から始まり、三島由紀夫の『美しい星』、村上春樹の『風の歌を聴け』、さらには辻仁成『クラウディ』といった1990年代に至るまでの本を扱っている。

「妊娠小説はどういう種類の『妊娠』をチョイスするか。もちろん『望まない妊娠』だけれども、ただの『望まない妊娠』ではなく、断固『絵になる妊娠』でなければならない」(P192)
「妊娠したと告げられて、男たちが示した反応といえば、馬鹿づら下げて絶句するか、ほんとうに俺の子かと問いただすか、ほとんどこの二種類だった」(P234)

 こんな感じで、斎藤は切れ味鋭く妊娠小説を論じている。トムの一件があったから余計に『妊娠小説』が面白く読めた。

 ねぇ、トム、もしこの本がドイツ語訳か英訳されたら、私はあなたに読んでほしいな。それで率直な感想を教えてほしいなって思っている。