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子どもの貧困 乳幼児期から親も含めた支援を

「子どもの貧困対策法」制定に向けたデモ行進=2013年5月

 貧困状態で暮らす日本の子どもは約6人に1人。人生のスタートラインから社会的に不利な状況に置かれる子どもたちがいる。「貧困は私の運命。抜け出すことなんて出来ないのよ」「子どもに夢をもてとは言えない。自分が夢をもてないのだから」――子ども時代から貧困のなかで生きてきた保護者が語った言葉だ。自助努力では解決できない構造的な社会問題、それがいま立ちはだかっている貧困だ。

学校内での排除

 そもそも、「子どもの貧困」に焦点を当てることに、いかなる意味があるのか。イギリスの研究者テス・リッジの著作の翻訳本『子どもの貧困と社会的排除』では、従来の視点は、しばしば「未来の労働者」としてのみ子どもを捉え、子どもの生活から生まれるニーズを捉えようとしていない、という。
 「貧しくてかわいそうな子どもたち」というネガティブなステレオタイプは、差別や排除を強めるおそれがあり、「独自の利害と声と主体性」をもつ存在として子ども自身の経験を明らかにする必要を指摘。子どもへのインタビューから、日々経験する様々な排除を描き出す。
 例えば、「学校内部での排除」。義務教育であっても制服や学校給食、遠足や修学旅行など私費負担は重い。学校の諸活動に参加できなければ、学校の内側で排除されていく。日本では、無料の学習支援をはじめ各地で居場所づくりが進められている。その意義はあるものの、そもそも学校こそがあらゆる子どもの居場所になる必要がある。
 「子どもの貧困」とくくることで、誤った認識を助長する懸念もある。よく「子どもには罪はない」という言葉を聞く。あながち間違いではないが、「子どもの貧困は自己責任ではない」が「大人の貧困は自己責任」という見えない境界線をつくりかねない。貧困を細分化していくまなざしもまた、差別や排除につながりやすい。

家族依存の限界

 長らく野宿者の人権問題に取り組んできた生田武志氏の『貧困を考えよう』は、貧困から見えてくる私たちの社会を考えることは、「この社会の中で自分たちはどう生きていくのか」を考えることにつながるはずだ、と投げかける。貧困は見えにくいというが、路上で暮らす人々のなかに、子ども期の貧困状況が見えるはずだ。家計が苦しく、10代から働き続けてきたものの重労働で病気になり入院。職を失い一気に路上へ。しかし、社会は「自己責任」というまなざしを安易に向けやすい。
 青木紀編著『現代日本の「見えない」貧困』は、生活保護受給母子世帯への丹念なインタビューを通して、貧困が世代的に再生産される構造に迫っている。貧困は、資本主義社会の構造が生み出す不平等の帰結であるにもかかわらず、個人の努力で克服しうる課題とみなされやすい。家族主義が強い日本では、「家族依存型」の政策のもと、家族ぐるみの努力が称揚される。家族の限界まで行使される自助努力の果てに、親子心中や孤立死が繰り返されている。
 13年6月、「子どもの貧困対策法」が成立し、国や地方公共団体の責務が明確にされたことは評価できる。しかし、同時期に引き下げられた生活保護基準が、子育てにいかに影響しているか、検証も必要だ。
 法律では、経済的支援や保育支援などの位置づけが弱い。最低賃金の改善や男女賃金格差の是正で収入増加を図り、義務教育の完全無償化や給付型奨学金で負担軽減を進める。保育士の待遇改善はもとより、保育所にソーシャルワーカーを置き、親も包含した早期からの支援を充実させるなど、取り組むべき課題は山積している。貧困対策とは、不平等を克服し、公正な社会をつくる試金石である。=朝日新聞2016年7月10日掲載