作家と観衆の対話、短歌でも
平田オリザさんの本を読むとき、「ああ、そういうことだったのか」という気づきと、「そうそうそうなんだよね」という納得、いつもこの両方の快感を大いに刺激される。
本書は演劇の言葉にどうすればリアリティーを与えられるかという、いわばハウツーものであるはずなのだが、それがそのまま分野を超えて、表現の本質に届く考察になっている。
表現者(劇作家)と受け手(観衆)とは、当然言葉に対する感性も世界観も違うが、それらをまとめてコンテキストと言ってしまえば、リアルとは表現者と受け手との間のコンテキストの摺(す)り合わせのなかに生まれるものだと、平田さんは言う。ちょっと乱暴な要約で申し訳ないが、表現者が一方的に自己の言葉や世界観を受け手に押し付けるのではなく、両者の間のコンテキストの共有、摺り合わせにこそ演劇という表現の意味があるという演劇論は新鮮で、かつ私にはうれしかった。
私は、五句三十一音しか許されない短歌という詩型では、詩は作者のものでも読者のものでもなく、両者の〈間〉にこそ成立するものであると言い続けてきたからだ(『作歌のヒント』)。演劇論は即(すなわ)ち作歌論となる。
コンテキストの摺り合わせこそが対話であるとすれば、昨今の国会討論はそれをわざとずらすことで、対話そのものを無意味化する好例であろう。(寄稿)=朝日新聞2018年8月11日掲載