敗戦から始まった現代。多様化する暮らしや芸術表現はどこに向かうのか。京都大名誉教授の山室信一さん、学者芸人のサンキュータツオさん、作家の桜庭一樹さんによる3週連続企画の最終回。
山室 幕末の開国から1945年の敗戦で「近代」が終わり、主権者が天皇から国民に変わって「現代」という時期区分も生まれます。
ダイエーの創業者、中内㓛(1922~2005)は、「われわれ大正の世代は、明治の世代が起こした戦争で殺された」として戦争に反対し、衣食の充実こそ平和の基礎だと考えて戦後という時代を疾走しました。
秘書だった恩地祥光さんの『中内㓛のかばん持ち』にもあるように、満洲やフィリピンなど戦地での飢餓体験が生き方を決めた。破裂弾が食い込んで意識が薄れていく中、肉が焼ける匂いがする。「ああ、もう一度腹いっぱいすきやきを食いたい!」。その思いが、後の牛肉の安売りにつながり、「消費者主権」を掲げて流通革命に挑みます。そして、生き残った自分は前に進むしかない、と店舗を拡大し続けました。しかし、原点に「食うか、食われるか」という飢餓体験があるため、他人に任せきれず挫折を迎える。自ら「混沌(こんとん)」と称したような人生でした。
タツオ 「食べ物」という切り口で近代化を捉えてもいいですね。開国で新しく入ってきた食べ物の定義を定着させ、全くものがない時代を経験して、現代は、いかに食べないか、みたいな状況になってきています。
「食」で個性発信
桜庭 中内と同年生まれのシャンソン歌手、石井好子(1922~2010)も「食の人」です。戦時中、食糧難を経験し、20代後半でパリに渡った。そこで知った外国の食生活をエッセー集『巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる』(1963)で書いた。主婦の義務としての料理ではなく、自分も楽しみつつ、人を楽しませる、能動的な自己表現としての料理やもてなしがあると示したんです。
山室 コロッケなどの洋食は大正期に広まり、「主婦之友」や「婦人之友」にレシピも載りますが、いかに経済的で滋養に富むかというもの。生活を料理で豊かにする石井さんとは違った。
桜庭 いま、若い人がインスタグラムにご飯の写真をきれいに撮って載せますよね。批判もあるけれども、生活を作品にして発信するのは素敵なことだと思う。その先駆けが石井さんだったんじゃないかと。
山室 人々が個性的なものを求める時代には、「どんどん安く売る」という中内方式だけでは対応できない。これは女性が変えていったものですね。
商品・芸術の下着
桜庭 戦後すぐに大量生産の逆を行ったのが、下着デザイナーの鴨居羊子(1925~91)です。自伝が『わたしは驢馬(ろば)に乗って下着をうりにゆきたい』(1973)。20歳で敗戦になり、米国から入る服に刺激を受けるんですが、当時の女性用下着は機能だけ。そこで、自分が欲しい、個人の楽しみのための新しい下着を作った。
彼女は金髪にしたり爪に全部違う色をぬったり、「普通」と違うことをしようと格闘する。既存の秩序から離れて自由になるには、いったん混沌を起こす必要があった。小説も含め、あらゆる芸術や創作物の存在意義の一つだと思う。彼女の下着を本人は商品だというけど、女性とは、肉体とは何かという問題提起のためのアート作品でもあった。敗戦直後から強くなった「個人」という考え方に必要だったものの一つが、鴨居さんの存在だったと思っています。
歴史の中の漫画
タツオ 表現という文脈で、戦後生まれから竹宮惠子(1950~)を。明治に落語、その後なら小説に親しんでいた人たちが最終的にたどり着いたのは、漫画だったんじゃないか。
『少年の名はジルベール』(2016)は、少年愛を描いた『風と木の詩』が出来るまでを中心につづった自伝的エッセー。学生運動に参加して、早々に気付く。友人が言います。「あの人たち、難しいこと言ってるけど、自分の言葉の意味がまずわかっていないもの。そんなことで何かを変えるなんてできやしない」。これって、革命をしようと新しい概念を入れるけど、言葉の意味すら統一できていない幕末から明治にかけての状況に似ています。
そこで彼女は、地に足のついた表現活動に目ざめる。青春時代を共にした萩尾望都さんの『私の少女マンガ講義』でもコマ割りの解説がありますが、一つのコマで、心理描写と実際の発話の乖離(かいり)を表現できる。
桜庭 少女漫画って、モノローグでもせりふでも本音を言ってなかったりする。そこを読者は察するんです。ボーイズラブもそうです。彼女たちがいて、いまのオタク文化がある。この先生方が私たちの「神」です。
タツオ 歴史の中に自分を位置づけられないと、新しいかどうかわからない。これは、ずっと変わらないんでしょうね。
山室 鴨居さんには母、竹宮さんには萩尾さんという乗り越えるべき壁があった。それが駆動力になっていることが重要ですね。海図なき過渡期の今、読書とは何か。「古書を古読せず、雑書を雑読せず」。明治・大正期の実業家・金原明善の言葉です。自分なりの切実な問題意識をもって故(ふる)きを温(たず)ね読むとき、新たな指針が見えてくるのではないでしょうか。(おわり)
(聞き手は読書編集長吉村千彰、構成・滝沢文那、撮影・相場郁朗)=朝日新聞2018年8月25日掲載