1923年9月1日、関東大震災では10万5千人余が死亡した。犠牲者には虐殺された朝鮮人、社会主義者も含まれる。原因は流言とされることが多い。災害時は、不安で判断する情報に乏しい。ゆえに平時は言語化されない偏見や差別、人々の不安などの社会心理が、虚実を判定し難い、境界上の言説である流言となり、混乱を生む。
関東大震災の混乱を経験した清水幾太郎は、『流言蜚語(りゅうげんひご)』において対策をたてる前に、本質を知り、科学的に究明されねばならぬと論じた。流言や風評を「フェイク・ニュース」として「ファクト・チェック」し、事実/事実ではないことの境界を即座に判断することは難しい。本質的に重要なのは虚実の判定よりも、流言や風評の構造、人々の心の揺らぎを知ることである。
東日本大震災後、流言や風評の「本質」をさぐる新たな研究が生まれてきている。
一つの方向性は今までは流言や風評とみなされていた、災害時の社会現象から、それを生み出す人々の心や社会の「暗黙の了解」を捉え直す研究である。
霊魂への畏敬
『呼び覚まされる霊性の震災学』は、タクシーに幽霊を乗せたというドライバーの体験談から始まる。被災地でこうした話を聞いた人は少なくない。私も聞いたが、民俗学者ブルンヴァンが紹介して有名になった都市伝説「消えるヒッチハイカー」を連想し、典型的な災害流言と捉えてしまった。だが同書では、タクシーの走行記録や聞き取りから、その経験を死者との応答と霊魂への畏敬(いけい)の念の構築過程と捉えた。事実/事実ではないことの境界、死と生の共存が被災地ではリアリティーをもって存在することを研究課題とした。脱帽である。金菱清と彼の指導学生による東日本大震災後の一連の著作は、災害における多くの「死」が被災地でどう受容されていくか、死生観と霊性という災害社会学の新たな地平を開き続けている。
もう一つの方向性は、流言や風評の定義や虚実を論じるより、実体ある社会問題として捉えようという研究だ。防ぐことが容易でないなら、関連する社会現象を「風評」として封じ込める政治性、「風評」という言葉をまとう経済被害や差別そのものを分析する方が生産的だ。
東日本大震災後の風評被害を真正面から扱ったのが『原発事故と「食」』である。いわゆる風評被害とは元々は安全性に問題ない農産物・水産物などの経済的被害をさす。放射線をめぐり、安全である/安全でない、風評被害/実害という科学的なリスク判断の境界や原発事故の責任追及をめぐって議論されるのが風評の問題だ。そして現実の課題は、実体としてのブランドの毀損(きそん)、結果としての市場構造の変化と固定化、帰結としての社会的分断や差別である。五十嵐泰正はこれらを丹念に描写する。
分断越えるには
では長期化する流言や風評の解決策はないのだろうか。福島県いわき市に住む小松理虔『新復興論』(ゲンロン・2484円)の主張はストレートである。「今、知らないこと」をあげつらうのではなく、関心を呼び寄せること。「科学」だけに、「雰囲気」や「マーケティング」だけに頼るのではなく等身大の現状を伝えること。当事者しか語るべきでないという「当事者語り」を解き放ち、多くの人を地域に巻き込み、地域と地域外、現世代と将来世代に新たなコミュニケーションの回路を創ること。困難を受け入れた上で愚直に抗(あらが)い続けることでしか災害による膨大な喪失、軋轢(あつれき)や分断は乗り越えられないのだ。
災害の流言や風評を契機とした探究とは、被災地の想(おも)いや苦悩との対話であり、平時には看過されがちな心の機微、社会の機微に近づく方策なのである。=朝日新聞2018年9月1日掲載