桜庭一樹が読む
「アブサロム、アブサロム!」という台詞(せりふ)は、なんと、作品中には出てきません。えー、びっくり!?
時は、十九世紀半ば。物語の舞台となるのは、作者の“小さな切手ほどの生まれ故郷”をモデルにしたアメリカ南部の架空の田舎町ジェファソン。作者はこの土地を巡る長大なサーガを生涯に渡って書き続け、本書はその代表となる一編だ。
ある日、悪人だがカリスマ性のある若い男、サトペンが町にやってきた。土地に根を下ろし、我が王国を作り、君臨するために。広い領地を手に入れ、結婚もして、一時は繁栄するサトペン家。でもさまざまな要因が絡みあい、呪われたように失速して、一代で没落してしまう。
そして物語は、サトペンの無念の死から四十年後の二十世紀初頭。生き残った人々が死者について証言する形式で、重層的に綴(つづ)られる。
貧しい白人(プアホワイト)の彼は、アメリカンドリームを成し遂げた。だが、黒人の血が入った息子を捨てたことも原因となり、繁栄を失う。その人生は、奴隷制を巡る南北戦争に敗北し、衰退した南部の負の歴史と重なっている。そう、サトペン=南部なのだ!
そして、この“戦後の南部の淀(よど)んだ悲しみ”こそ、作品のテーマでもある。作者はそれを言葉だけじゃなく、手法によっても表現する。未来に希望が持てないときは、主観的な時間もまっすぐ流れない。堰(せ)き止められ、戻り、円環を描いては、停滞する。南部という“失われた大いなる過去”の前で、時間さえ立ちすくむという奇怪なる実感が、語りが行きつ戻りつし、定点に留(とど)まり、円を描くという独特の手法によって、読者の肉体にもずっしりとのし掛かる。
じつは、題名の意味は、旧約聖書の中で息子の死を嘆くダビデ王の台詞なのです。「王子」を失い、没落したサトペン家の悲劇は、古代のダビデ王の物語にも似て、これぞ新大陸の神話と呼べる作品です。(小説家)=朝日新聞2018年9月8日掲載