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「しあわせなおかし」の背景 芦沢央

 私は「物産展」が好きだ。
 地域ならではの食べ物やグッズがずらりと並び、見ているだけでワクワクしてくる。大抵はふらりと立ち寄って、そのときの気分で気になったものを買うのだが、一つだけ展示を見る前から必ず買うと決めているものがある。
 それは、北海道物産展によく並ぶ六花亭の「マルセイバターサンド」だ。
 このお菓子との出会いは私が四歳の頃。三時のおやつとして出されたのが始まりだった。つるつるした銀色の包み紙、その上に描かれた蔦(つた)のような赤いレトロな模様と「バタ」の文字。正確には丸に囲まれた「成」マークも入っているのだが、それが読めないくらいに幼かった私にとっては、その読めないことさえも大人の世界にこっそり交ぜてもらえたような特別感があった。
 破かないように気をつけながら包装を開け、ビスケットが割れてしまわないようにそっと口へと運ぶ。
 齧(かじ)りついた瞬間に気分が弾むようなサクサクした食感、口の中いっぱいに広がる甘くてうっとりするような味わいと、ほんの少しの甘酸っぱさと苦味(にがみ)が混じったような不思議な香り。
 当時四歳だった私には、それがバターやラムレーズンの濃厚さだとはわからず、ただとにかく「しあわせなおかし」でしかなかった。それでも、そんなに幼い頃の記憶が今でも鮮やかに残っているのは、実はその後しばらく「マルセイバターサンド」を毎日のおやつとして食べるようになったからだ。
 今考えればかなり贅沢(ぜいたく)なことだが、当時はそれが普通のことだと思っていた。北海道の名産品である「マルセイバターサンド」が東京の我が家に常備されていた奇妙さを知ったのは高校生になってから、そしてそのワケを知ったのは大人になってからだった。
 それまで家でほとんど仕事の話をすることがなかった父が、私が会社勤めをするようになったことで少しずつ仕事の話をしてくれるようになり、当時百貨店の食料品売り場のバイヤーとして六花亭と仕事をしていたことを知ったのだ。
 当時はまだ北海道内でしか食べられなかった「マルセイバターサンド」を本州で販売させてもらうために、足繁(あししげ)く北海道に通ったという父の話はとても面白く、私にとっての幸せな記憶の背後にはそんなドラマがあったのかと驚かされた。
 今では物産展でも気軽に買えるようになった「マルセイバターサンド」だが、それでもいつでも買えるわけでもないこともあり、見かけると嬉(うれ)しくなってつい多めに買い込んでしまう。
 そして、懐かしいレトロなパッケージを開きながら、父に電話をかけるのだ。=朝日新聞2018年10月13日掲載