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読むハンティング 津村記久子

 三か月前に、読書を趣味にしようと思い立った。小説を書いたり読んだりすることが仕事なので、当たり前のことで恥ずかしいのだが、仕事で読まなければいけない本の他に、娯楽としてもっと本を読もうと思ったのだった。
 きっかけは、テレビであるライターの方がなんでも大学ノートに書いているということに関して「電源がなくても開いたら書けるじゃないですか」と言っていたことだった。メモは寝ながら字を書いたりもするのでどうしてもスマートフォンを使うけれども、とりあえずインターネットやゲームなどの娯楽の時間を、電源を使わずに楽しめる読書に集約できないかと思った。結果は当たりだった。本は開いたら読める。そしてある程度の分量があるから「次に何を読むか」を判断するストレスから長時間解放される。
 いやしくも小説家とあろう者が愚かな気付きを、と思うけれども、携帯電話が自分の手元に着た十八年前から、メール好きの友人とずっとやりとりをしていて、スマートフォンを持ったらもう、無限に読むべきものややるべきことが手の中に入ってしまったのは事実だ。その結果、ただテレビを見ている時にすら、常にスマホの中で何かを得ようと、テレビに映っているものについて検索したり、ゲームを進めて何かを進捗(しんちょく)させようとしたりする。スマホが突いてくるのは「テレビもゲームもがんばりたい」というような方向の定まらない勤勉さだ。スマホを持って、実は人間は完全に何もしないことは苦手で、軽い負荷の勤勉さを間断なく発揮していたい性質の生き物なのではと思うようになった。スマホはその負荷としてちょうどいいのだと思う。
 それに比べて読書は怠惰だ。ただ字を読めばいい。ハック&スラッシュ(ハクスラと略す)というひたすら敵を倒して武器防具を得てさらに敵を倒すというだけのジャンルのゲームが好きなのだが、読書は究極のハクスラなんじゃないか。本は順調に読めている。読了リストはまるで戦利品の目録のようだ。=朝日新聞2018年10月22日掲載