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漫画に関する思い出には、全部弟の影がある パラ競泳・山田拓朗さん(前編)

文:渡部麻衣子、写真:斉藤順子

絵を追うだけでも楽しい「ドラゴンボール」

——『ドラゴンボール』が週刊少年ジャンプで連載していたのは1984年〜95年。山田さんが水泳を習い始めた3歳頃に、物語は完結しています。漫画を読むきっかけはなんだったんでしょうか。

 一つ下の弟が『ドラゴンボール』のアニメが大好きで単行本を買い揃えていたので、なんとなく読み始めました。時期的には、僕が中学生とか高校生くらいの頃です。

——どんなところにひかれましたか?

 漫画をちゃんと“読む”人からしたら信じられないかもしれないんですが、僕が漫画を1冊読むのにかける時間は5分程度。パラパラパラ〜ッと絵を追ったら、それでおしまいです。

 読むというより眺めるという感覚なので、セリフや伏線が多すぎる漫画だと僕には楽しめない。『ドラゴンボール』は、セリフは拾い読み程度でも、絵を追っていくだけで話の流れがスッと頭に入ってきて、おもしろかったんです。

——あまり読書に時間をかけないのは、水泳の練習の方に時間を割きたいからでしょうか。

 3歳の頃から水泳を始めて、選手コースに上がってからは学校から帰ったらスイミングスクールに直行。練習後は家でごはんを食べて、寝て起きたらまた学校に行って・・・・・・という、まさに水泳漬けの生活でした。僕は左腕のひじから先がないんですが、オリンピックを目指すような健常者と同じ選手コースで同じ内容の練習をしていました。

 休みの日は家にいるよりも外で遊ぶのが好きな方で、大きな虫かごをもってバッタを30匹つかまえたり、ザリガニを釣りにいったり、子どもながらに忙しかった。漫画は息抜きの感覚で読みたいから、パラパラパラーッと眺めるような読み方だったのかもしれません。

 『ドラゴンボール』は、人間の生々しい感じが一切ない、現実離れした世界観もよかったんですよね。友達から『SLAM DUNK』も薦められましたが、読めなかった。スポーツ系漫画だと自分の競技を少なからず意識しちゃうから、ぜんぜん違う分野の漫画がよかったというのもあるのかも。

 スポーツ選手の中には「漫画から刺激を受けた」という方もいらっしゃいますけど、僕にとっての漫画は影響を受けるものではなく、純粋にリラックスして楽しむためのものでした。

前向きにチャレンジし続ける姿勢が自分と重なる

——思い入れのあるキャラクターはいますか?

 悟空は、純粋に“強さ”を追い求めている人。僕も、ずっと“速さ”を追い求めて練習しているので、そこに共感できます。悟空って、次から次へとクリアしなければならない課題が出てくるじゃないですか。

——宇宙からサイヤ人が来襲したり、ナメック星までフリーザをぶっ飛ばしにいったり、人造人間や魔人ブウの相手をしなければならなかったり……。

 そう。でも、いつも前向きにチャレンジし続ける。自分と重なるところがありました。それにしても、『ドラゴンボール』はあんなに登場人物が多いのに、「誰だっけこの人」みたいなことにならないのが不思議です。他の漫画だと、久しぶりに読むと登場人物の関係性がわからなくなっちゃう。

 そんなときは、いつも弟に横で解説してもらっていました。弟は、今までに読んだ漫画の内容は全部詳細に記憶していて、「◯巻のあのシーンが……」とかすぐに言えるんですよ。

——漫画の思い出話に、弟さんは欠かせないんですね。

 弟とは小、中、高、大学と進学先がずっと一緒で、部活も同じ水泳部。今でもすごく仲が良いです。『ONE PIECE』『シャーマンキング』など、実家にある漫画はすべて弟が買い揃えていたのですが、そういえば『NARUTO』だけは別ですね。僕が、小学生の頃にアニメで見ておもしろかったので買い始めました。

 『ドラゴンボール』同様、絵の力でグイグイ読み進められるところが良かったんです。大学進学のために家を出てからは単行本集めをストップしちゃったので、その後は弟がしっかり引き継いで、全巻揃えてくれました。

「NARUTO」1巻、P114より ©岸本斉史 スコット/集英社
「NARUTO」1巻、P114より ©岸本斉史 スコット/集英社

——悟空もナルトも、「強くなりたい」「火影になりたい」という目標のために、ひたすら修行します。ただ、少年漫画の主人公の努力はたいてい最後に実を結びますが、現実の世界ではそうとは限らない。山田さんは「努力が無駄になったらどうしよう」とか、そういうことは考えませんか?

 僕は、たとえ結果がついてこなかったとしても自分が費やした時間や労力、努力が無駄になるとは思いません。やるだけやって結果が悪かったら、「運が悪かったな」くらいのこと。日々自分が進化していると感じられれば、その努力には絶対に意味がありますから。

>後編「常に抱えてきた劣等感が、挑戦し続ける原動力に」はこちら