『青少年のための小説入門』(集英社)の久保寺健彦さんと、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』(講談社)の高橋源一郎さんが9日、東京都内で対談した。2人の新刊はいずれも小説の可能性がテーマ。本が売れない時代に、小説は生き残れるのか、文学はどこへいくのか――。
久保寺さんの作品は、20歳のヤンキーとけんかの弱い中学2年生のでこぼこコンビが小説を共作する物語。夏目漱石からサリンジャーまで2人は古今東西の名作を朗読して学びながら物語を考えていく。ハウツー本と誤解されそうな題だが、「自分は自信があった」と久保寺さん。「入門」という以上に本格的な文学批評で、「作者の文学への愛が感じられる。この作品の主人公は小説かもね」と高橋さんも称賛した。
高橋さんの作品は『日本文学盛衰史』(2001年)の続編。学生に向かって高橋さんらしき「先生」が作家の名前を挙げていく。タケダタイジュン、ノマヒロシ、アベコウボウ。学生は首を横に振るばかり。「文学なんてもうありませんよ」と誰かの言葉が響く。
「今の学生は戦後文学の小説家なんか誰も知らない。彼らは意味がなかったのか、僕らも知られなくなる前兆なのか、と恐ろしい話になりました」と高橋さん。ただ、授業でドストエフスキーの『白痴』を読ませたら「アツイっすね」「やばいっすね」と感想が返ってきた。「届けば、若い人にも面白さが伝わるんですね」と久保寺さん。
良い小説書き、若い世代に届けていく
久保寺さんは、高橋作品を読むたびに「何これっ」と驚くという。今作もツイッターの投稿からヒップホップの歌詞までジャンルは縦横無尽だ。「自分は何を読んでいるのか、と不安になる。自分が考えていた小説というものが揺るがされる感じ。一体どうやって作っているのですか」と久保寺さん。高橋さんは「物語がなくても主人公がいなくても世界に活力を与えてくれる何かはすべて文学と呼ぼうと思っています」。
偏愛する作家を3人挙げるなら、という問いに、久保寺さんは筒井康隆、横光利一、ドストエフスキーを挙げ、「小学生で筒井さんを読み、薫陶を受けた。筒井さんがいなければ違うタイプの作家になっていたかも」。高橋さんは「みんな好き」としぼりきれず、外国文学ではユグナンやカルヴィーノ、ブローティガン、日本文学では吉田健一、坂口安吾……。「安吾のどこが好きか。あれだけ人気があって失敗作ばかりの人はいない。振幅が激しくて魂だけでできているみたいです。詩か小説か評論なのかもわからない」
本の市場は縮小傾向が続く。小説の未来をどう見るか。
久保寺さんは「売り上げでは漫画やゲームに小説は勝てない。これを書きながらプロレスラー桜庭和志の言葉が頭にありました」。プロレス人気が低迷していた1990年代、総合格闘技で優勝した桜庭さんは「プロレスラーは本当は強いんです」という名言を残した。「小説は本当は面白いんです、と言いたくてこの作品を書いていたように思う。作り手としては良い小説を書き、届ける努力をする。それしかない気がします」
高橋さんは「文学とは可能性そのもの」と答えた。「若い世代が本を読むことは少なくなるだろうが、文学が持つ原初的な力に彼らが無関心なわけではない。文学はきっと形を変えて生き残っていく。僕らは作戦を考えなきゃ。想像力で頑張りましょう」(中村真理子)=朝日新聞2018年11月24日掲載