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元NHKアナ、50代で福祉施設に転身 内多勝康さんの奮闘記「『医療的ケア』の必要な子どもたち」

文:浜田奈美 写真:松嶋愛

「医療的ケア児」は1万8千人以上

――2016年4月、医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」が東京都世田谷区の国立成育医療研究センター(以下、成育)内に開設したタイミングで、NHKを退職し、この施設のハウスマネージャーに就任なさいました。有働由美子アナウンサーのようにフリーとなって民放に出演するタイプの転職とは違う、まったく異なる業種への転身には驚きました。

 僕自身もこんな人生が待っているとは思いませんでした。福祉に関係する取材や番組制作を続けた中で、人脈が広がっていたので、そういう意味では、いま「もみじの家」で働いていることは一本「筋」は通っているんです。でも、転職まで行くとは思いませんでした。
 「もみじの家」は、病院から退院した後も医療的ケアを必要とする子供たちとその家族が利用できる短期入所施設です。医療の発達によって、命を救える子供が増える一方で、退院後は在宅で人工呼吸や痰の吸引などのケアを続けながら生きています。
 こうした「医療的ケア児」は現在、1万8千人以上いると推計されます。中には24時間目が離せない子や、体調が悪くなると5分おきに痰の吸引が必要な子もいます。それらを担っているのは家族、多くはお母さん方ですが、「もみじの家」ではいっときでもケアを引き受けることで家族の緊張を解き、子供たちの健やかな成長をサポートすることを目指しています。

――著書によれば、先天的な染色体異常のため低体重や重い心臓疾患の子や、「低酸素性虚血性脳症」といった症状の子が「もみじの家」を利用し、看護師や保育士、介護福祉士が常駐して24時間体制でケアを続けている、とあります。一方で、ホテルのようなツインベッドのある「家族室」など、親子でリラックスできる空間も兼ね備えています。

 イギリスに「ヘレン・ダグラス・ハウス」という、病の子供達が安心して楽しく過ごすための施設があるのですが、「もみじ」の設立準備段階でスタッフがこの施設に視察に行きました。そしてこの施設では、イギリス在住の篤志家で喜谷昌代さんという方がボランティア活動をなさっていて、この方の存在が「もみじの家」誕生に大きく関わっています。喜谷さんがイギリスの障害のある子供達と日本の子供達との交流事業を続ける中で、成育との情報交換が始まりました。
 成育としても、一生懸命に子供達の命を救ってきたけれども、退院した後も在宅生活を支えることはできないかという議論があり、喜谷さんと思いが一致したんです。「もみじ」は喜谷さんと関係の深い財団と、日本財団からの出資で誕生しました。

50歳すぎて厳しく怒られるのって、しんどい

――内多さんの「ハウスマネージャー」とはどんなポストですか?著書には就任して間もなく「劣等感という冷水を浴び」、一ヶ月過ぎた頃には「リングから降りたい」と転職を後悔していたと。

 僕自身の仕事は、事業計画を立て、運営の方針を決めることです。ですが、就任1年目は何から何まで初めてで五里霧中でした。「事業計画ってなんだ?」ということからでしたから。NHKにいた頃はワードで事足りていたので、エクセルの使い方もろくに分かりませんでしたし(笑)。ですから最初の頃は怒られてばっかりで。僕が作った運営委員会のプレゼン資料なんてほとんど役に立たなくて。50歳をすぎて厳しく怒られるのって、しんどいですよね。

――分析や批評が本業のメディアの人間は、どこまでいっても批判する側で傍観者ですが、永遠に「当事者」たりえないもどかしさもあります。内多さんの現在の仕事は「当事者」そのものですよね。

 当事者たり得ない、という感覚はよくわかります。福祉の現場は、人々の幸せに直接、貢献していますから。それは確かに輝いて見えますよね。実際、僕も福祉の取材を通じてそう感じていました。

――NHK時代も、アナウンサーでありながら「福祉」をライフワークに取材を続けていた、とありますが。

 入局前はディレクター志望だったんですが、採用時に「アナウンサーで入ってもすぐディレクターに変われるよ」と口説かれまして(笑)。でも確かに当時は「アナウンサーもジャーナリストとしての感覚を磨け」と言われていました。だから時間のあるときは企画提案して、取材に出てましたね。

――初任地の高松で早速、「福祉タクシー」が財政難で廃止されると聞き、利用者に取材して福祉タクシーの重要性についてリポートし、存続への流れを作ったと。

 ええそうなんです。報道には、その報道によって社会が動いていく手応えや充実感が確かにありますよね。のちに川崎市の自閉症の男性についてのドキュメンタリー番組を作ったときも、昨今の発達障害をめぐる報道のように、彼らが障害を「直す」のではなく、社会の側がどう環境を整えるのかという問題提起をできたと感じました。

――医療的ケア児との出会いは、新生児の救命率が向上した反面、在宅で手厚い医療的ケアを必要とする子供たちが増えていることを報じた2013年の「クローズアップ現代」だったんですね。

 当時は「クロ現」の代行キャスターだったんです。メインキャスターの国谷裕子さんが海外に取材に出る時などに「登板」していました。
 あの段階では、「医療的ケア児」への知識や関心が先にあったのではなく、「新しい動きをいち早く報じたい」という思いが強かったんです。福祉の関係者と情報交換を続ける中で、愛知の社会福祉法人の理事長さんが「医療的なケアを必要とする子供達のために、医療者とチームを組んで新たな動きを起こしたい」という話を聞かせてくれたので、番組を企画しました。
 実は名古屋での単身赴任中の2011年、社会福祉士の資格を取るべく通信制の学校に入りまして、13年に資格を取得しました。その時の「実習」を受け入れてくれたのがその社会福祉法人さんでした。今思えばこの資格が重要でした。有資格者ばかりの職場で「元アナウンサー」だけではキツかった。

美味しそうなニンジンはとても苦かった

――それにしても「転職」には勇気が必要だったと思います。決意させたものは?

 再びその理事長さんが絡む話ですが、「医療的ケア児のための短期入所施設ができる。ひいてはその施設にマネージャーが必要となる」と教えてくれたんです。そして「内多さん、向いてるんじゃないか」と言うんです。
 「え?」と驚きましたが、自分の中では「やりたい仕事」でした。私自身、50歳を超え、放送人として実現できる範囲が狭まっていくことを残念に思っていましたから、理事長さんもそんな気持ちを察してくれてたんじゃないでしょうか。
 僕は入局以来ずっと恵まれていたんです。自分が発信すべきだと思うことを発信できる立場でいられました。ただ、「クロ現」の代行の後は、そのような現場から離れることになり、こうなると福祉の問題を発信し続けるのは難しいなあ、と。

――会社組織における「50代」って、そういう年頃ですよね。

 そう、様々なことを後進に譲らなくてはならない年頃です。だから自分も組織では半歩下がり、福祉のことはプライベートで頑張ろうと思っていたところだった。そこに「もみじ」の話がきたので、差し出された美味しそうなニンジンにパクッと食いつきました(笑)。勤続30年という節目でもありましたし、幸いにして住宅ローンも終わっていたし、家族も反対しませんでした。断る要素が一つもありませんでした。
 何しろ自分が問題提起をしたことに自分自身が貢献できる場所に、歓迎して頂けるという。つくづくありがたいことだなあと。ただ、食いついたニンジンは、それはそれは苦かったですが(笑)。

――最初の1年のことですね(笑)。ですが、甘く感じるときもありましたでしょ?

 もちろんです。利用してくれた人たちが喜んで帰って行かれるときは、心から「よかった」と思いますね。
 医療的ケア児のご家族は、日々の苦労に加えて、社会が受け入れてくれないという厳しい環境の中で生きています。健常児なら保育園に預けられて友達と社会性を育み、学校に進んで教育を受けて成長していきますが、そういう当たり前の人生のステップが踏めない我が子の将来が、不安でたまらない。ご自身たちも社会の中で孤立していく。著書にも書きましたが「一日一度は死んでしまいたくなる」とおっしゃったお母さんもいらっしゃいました。
 ですから「もみじの家」の理念は、医療的ケア児の命を守るとともに、ご家族を「社会で」支える世の中を構築することにあります。

寄付に頼らない施設運営に向けて

――「医療制度と福祉制度が同時に機能するような、新しい支援モデルの開発が不可欠」だと実感し、中央省庁に働きかけを始めていると。

 そうです。ここでの取り組みに厚生労働省の方々も関心を持ってくれていて、視察のたびに現状をお伝えしています。というのも我々が必死に運営改善に務めても、圧倒的に制度が足りず、赤字を寄附で埋めております。このような施設を全国に広めるためにはまず「もみじの家」の取り組みが公的制度によって持続可能になることが第一条件です。入院中は医療、退院したら福祉サービス、と切り分けられていますが、医療的ケア児は退院後も福祉サービスのみならず、医療を必要とします。実際、我々も毎日医療も福祉サービスも提供していますので、診療報酬と障害福祉サービス費の両方の制度が機能するハイブリッド型の新しい支援モデルを要望しています。

――メディアの立場では、官僚が作る政策を分析していましたが、作る側へと転じたわけですよね。現場から声をあげ、制度を整えられるかという責任が生じました。

 まさしくそこが問われています。大切なのは「変えさせる」という姿勢ではなく、「どうすればより良い制度を一緒に作り出せるか」という視点です。同業のコミュニティーで情報を共有し、声を集め、専門家のアドバイスを受けながら、共に支援モデルを組み上げていけたら、理想的です。

――改めて、「ここに転職してきてよかった」と実感しますか?

 まだそこまでの実感は、得られていませんね。きっとその答えはこの仕事を辞める時に出るんじゃないかな。順調に利用者数も伸びていますし、医療的ケア児にとって大事な施設になっていることは間違いありません。ですが僕が何かを成し遂げたわけではなくて、日々この施設が順調なのは、手厚いケアを続けているスタッフたちの力なんです。
 僕の使命は、この施設が寄付に頼らず持続可能な形になり、第二第三の「もみじの家」が生まれる地盤を作ること。少なくとも第二の施設が誕生したというニュースを聞くまでは、「よかった」とは思えませんね。ですがもちろん古巣に戻りたいとは思いません。「ここ」で、僕にできる限りのことを続けていきます。