視覚的に面白いものを作ることに夢中に
――「わーっ、すごい!」。ガレージに飾られている大きな絵本型のアートを見たとき、興奮のあまり思わず声が出てしまった。大人の背丈ほどある本にはページごとに鏡のような素材が貼り合わせてある。本を開けるにつれ、鏡面に描かれたイラストが合わせ鏡の中で立体的に立ち上がり、まるで夢の世界に迷い込んだかのよう――。この驚きと面白さを、誰でも手に取りやすい「絵本」という形で楽しめるのが福音館書店から出版されている「かがみのえほん」シリーズだ。シリーズ中の一作、『きょうの おやつは』は、どのように誕生したのか。作者のわたなべちなつさんのアトリエを訪ねた。
「かがみのえほん」シリーズの原型は、大学時代に制作した「MIRROR BOOK」という5冊セットの作品です。二次元のグラフィックと立体的なしかけを掛け合わせることに面白さを感じ、「本」という形態でいろいろ試していました。その中の一つがこの鏡を使った作品。グラフィックだけでなく、中に糸やポップアップのしかけを仕込んだりもしています。『きょうのおやつは』の元になったものもありますね。「コース料理」というテーマでお料理の写真を片面に貼っていて、ページをめくるごとに前菜、メイン、デザートなどが立体的に現れます。学生時代はとにかく「視覚的に面白いものを作りたい」という一心で制作に没頭していました。
よく「昔から絵本作家を目指していたんですか?」と聞かれるんですけど、学生時代はそんなことは夢にも考えていなくて。大学卒業後はグラフィック・デザイナーとして家庭用品メーカーに就職しました。仕事はとても楽しかったんですが、制約なく作品作りに打ち込みたい気持ちもあって、休日に制作してコンペに出したり、展示したりすることは続けていました。
――結婚を機に退職を決め転職活動を始めたものの、一方で創作活動も続けていきたいわたなべさんの背中を押したのは夫の一言だった。
結婚のために引っ越さねばならず、新しい土地で普通に転職しようと思っていたんですが、「会社員じゃなくて、今までやってきたようなことをフリーランスとして仕事にできるといいんじゃない?」っていう夫の言葉で腹をくくりました。「フリーランスになるんだからもう、後はないぞ。やれることはなんでもやる!」と心に決めて。美術系の大学院に入学してそれまで作ったことがなかった「BIG MIRROR BOOK」のような大きな作品に挑戦したり、いろんな人に自分の作品を見てもらったり。とにかくがむしゃらでした。
「MIRROR BOOK」のような作品をしかけ絵本として出版できないかと思って、いろいろ模索していたんですが、自分でも「これを出版の流通に乗せるのは難しそうだな」と感じていて。それでも一縷の望みを捨てなかったところ、作品を見て「わあ! これ面白いですね。……会社に持ち帰ってもいいですか?」と言ってくださったのが、福音館書店の現担当さんだったんです。
とてもうれしかったんですけど、そこから絵本になるまでが大変。何度も試作を繰り返し、鏡のように映り込む特殊な紙にイラストや文字を印刷するという技術やコスト面の課題を編集さんや制作担当の方たちと一つひとつ乗り越えて……ようやく完成に漕ぎ着けました。出版に至ったことが奇跡だなって今でも思っています。
こだわりたかったのは読者の「臨場感」
――2014年に『ふしぎな にじ』と共に出版された『きょうの おやつは』は、わたなべさんの初めての絵本だ。テーブルに絵本を置き、前後のページが直角になるように縦に開いていくと……片側のページに描かれたボウルやフライパン、お皿が立体的に。ページをめくれば、みるみるおいしそうなホットケーキができあがっていく。二次元の絵本が三次元になる不思議な感覚とホットケーキが目の前で作られているようなリアルさに、子どもも大人も心を奪われる一冊だ。
こだわりたかったのは、「読者が今まさに自分でホットケーキを作っているような臨場感」を出すことでしょうか。ページの端で切れている泡立て器とかおたま、フライパンの柄の部分のイラストに手を添えると、まるで本当に道具類を持ってホットケーキを作っているかのような気分が味わえます。人物が描かれていないぶん、読者が絵本にすっと入り込めるような存在を、と思って猫の“クロちゃん”にホットケーキ作りのパートナーとして入ってもらいました。
「かがみのえほん」という性質上、少しのズレで絵がゆがんだり、おかしなバランスになったりするんですね。「PCで映り込みを計算しているんですか?」なんてたまに聞かれるんですけど、実際は銀の厚紙を折って試作しているアナログ派です(笑)。とにかく自分の手で作ってみないと面白さがどれくらいジャンプするのか分からないんですよ。PCで制作できると便利だろうなって思うこともあるんですけど、アナログだけど「自分の手の中で起こっているナマの感覚」を大切にしたいんです。
――今年、女の子を出産。一児の母となり、「これからは娘さんのために絵本を作りたい?」と周囲から聞かれることが多くなったと笑う。
娘がどんなものが好きなのかな?というのは一人の母親として気になるんですけど、「娘のために絵本を作りたい」っていう意識は、実はあまりないんです。むしろ、娘とのコミュニケーションで生まれたものを作品にしてみなさんと共有したいですね。結果として、読者のみなさんと一緒に娘も楽しんでくれるようならすごくうれしい。
新刊では「かがみのえほん」よりも前からあたためてきたアイデアを絵本にするべく、進めています。今もうかなりあたたまっています(笑)。老若男女問わず、ぱっと見ただけで直感的に楽しんでもらえるものを作りたい――。その気持ちは学生時代からずっと変わらず、今も絵本制作の原動力になっていると思います。