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モデル・亜希さんの力強いメッセージ エッセイ集「亜希のことば」実は肝っ玉母さん?  

文:上田恵子、写真:時津剛

息子たちは16歳と13歳。2人ともスポーツ少年です

――現在、モデルとして、2人のお子さんの母として、忙しい毎日を過ごしていらっしゃる亜希さんですが、1日のタイムスケジュールはどのような感じですか?

 朝は毎日5時起きです。目覚ましを4時50分、5時、5時10分と10分刻みでセットしていて、何時に起きるかでその日のコンディションがわかります。どんなに疲れていても、起床がそれ以降にずれ込んだことは一度もありません。

 そして起きたら即行動。キッチンに向かい、朝食の支度に取り掛かります。子どもたちのお弁当がある日は、お弁当も作ります。私には家事の合間にのんびり一服する習慣がないため、休むのは夜寝る時だけ。あとは一日中動き続けて、何かしら用事を片付けています。

 就寝は夜の9時から10時の間が自分としてはベスト。どこでも寝られるのが私の特技で、ベッドに入った瞬間に寝ています。子どもたちからは「やたら早く寝るつまらない母さん」と見られていると思いますが(笑)、だからこそ朝からフルパワーで動けるんでしょうね。

――著書『亜希のことば』に掲載されていた、お子さんたちとのスリーショットが印象的でした。仲の良さが垣間見える、素敵な写真ですね。

 ありがとうございます。長男は現在16歳。高校でアメフトをしています。次男は13歳で、硬式野球のチームに所属する中学生。子どもたちとはベタベタする関係ではなく、適度な距離感で付き合っているつもりです。特に上の子は高校生なので、彼のほうからなんとなく線を引くようなところも出てきました。とはいえ、まだ彼らと一緒に買い物に行くこともありますし、普通に仲の良い親子だと思います。

 我が家には180cmの高さの冷蔵庫があって、子どもたちと「身長がこれを超えたらすごいね」と言っていたら、いつの間にか長男がそれより大きくなってしまって。彼は高校に入ってから本格的なウェイトトレーニングを始めたため、大胸筋もパンパン! もう眩しいやら、うらやましいやらですよ。向こうはどんどん成長していくのに、こちらは衰える一方ですからね。(笑)

お米は毎朝6合炊いています

――今、日々の生活はお子さんたち中心ですか?

 そうですね。次男の硬式野球の遠征試合などもあるので、今は子どもたちの行事優先で私のスケジュールを決めています。試合で地方に行く際には、朝3時半に起きて5時に家を出るなんてこともざら。持ち回りで父母の当番もあるので、結構大変なんですが、今のところは楽しんでやっています。

 著書では、次男の練習に持たせる「野球弁当」のレシピも紹介しています。3合のご飯に、豚バラ肉、干しエビ、青梗菜、卵、しらす、ゴマ、高菜などを入れた具だくさんチャーハンなんですが、普通に考えたら「いくらなんでも3合は多すぎじゃない?」と思いますよね? ところが今は体を作る時期らしく、量を食べることもトレーニングの1つなんですって。ちなみに、お米は毎朝6合炊いています。(笑)

――6合はすごいですね! お弁当やおかずの写真がたくさん載っていますが、どれも「正しいおふくろの味」という感じで美味しそうです。

 子どもたちに「うちの食事は茶色い」とよく言われます(笑)。我が家は「クロワッサンとカフェオレ」みたいなオシャレな雰囲気とは程遠い、栄養バランスとボリューム重視の食卓。「ソースカツ弁当」や「肉巻きおにぎり」といった、食べ応えがあるものが多く登場します。私の母の作る料理も茶色かったので、親子って似るんだな~としみじみ思います。

マイナスの感情より感謝の気持ちが勝っていた

――著書では、離婚した元ご主人の事件が報道された日のことにも触れられていましたね。お子さんたちの冷静さに胸を打たれました。

 実際のところ、彼らがどう感じたかについては私にもわかりません。でも、少なくとも2年前のあの日に関して言えば、親である私のほうが考えすぎていたような気がします。「学校、休んでいいんだよ?」という私の言葉に「何で休むの?」とサラッと返された時、ハッとしたんです。本当にそうだなって。

――きっと息子さんは、周囲の人たちに恵まれているんですね。

 本当にそう思います。友達とか先生とか。ありがたいことです。長男と次男は性格が全然違うんですけど、2人とも大丈夫でしたね。

 私自身も辛かったことももちろんありましたが、多くの人に助けられたことでマイナスの感情より感謝の気持ちが勝ちすぎて、苦しいとか悲しいとかいう思いが薄れていきました。と同時に「いつか自分が逆の立場になった時は、絶対にこういうことはしないでおこう」という基準も明確になった。そういう意味では、ものすごく勉強になりました。

 先日も、友達が体調を崩してしまったので私なりのエールの贈り方をしたら「亜希ちゃんの対応、病人から見て100点だよ!」と言われたんです。あれは嬉しかった! それは、弱っている時に「心配してるよ」という態度を前面に出されると、押しつけがましいと感じることもあると気づけたからだと思います。だからその友達にも、時々「出前受け付けま~す!」と気軽な感じで料理を差し入れしたり、その程度のことしかしていないのですが、すごく感謝されました。

 アラフィフ世代は、自身にも家族にもデリケートな問題が起こりやすいお年頃です。何かあった時にこそ相手との距離感を上手にとれて、さりげない気遣いができる人でありたいなと思います。

母については、いい思い出しかありません

――著書『亜希のことば』には、亡くなったお母様への思いも綴られています。お母様から受けた影響は大きかったですか?

 ものすごく大きいです。私という人間の90%以上は、母から作られたと思っています。私が小学校4年生の時に両親が離婚して、その後は母と兄と私の3人で暮らしてきました。

 母の素晴らしさは、子どもたちに「寂しい」と思わせなかったこと。本にも書きましたが、親の離婚って片腕を失ったような感覚になるんです。あったはずのものがない。何かが足りない。でも私の母は本当に明るい人で、そういう寂しさを私たちに一切感じさせなかった。「母がこれだけ強いんだから」という一点だけで、私も生きてこられた気がします。

 母は言葉より態度で表す人で、たとえば朝も「おはよう~!」って両手を広げて私や兄を迎えてくれるんです。1日の始まりが明るいと、それだけで元気になれますからね。だから今、私が同じことをやってますよ、息子たちに。(笑)

 母は私が33歳の時に亡くなったんですが、母についてはいい思い出しかないんです。私くらいの年齢で親を介護している人の話を聞くと、悲しいけど一緒にいるのが辛くなってしまうことも当然ながらあるようで……。私はそれを経験しないまま母を見送ったので、余計にパーフェクトなイメージのままで終わっているのだと思います。

15歳で私を手放してくれた母への想い

――亜希さんが故郷の福井県から上京したのは15歳の時。お母様も、一人娘を送り出すには覚悟がいったことと思います。

 本当に、よく15歳の娘を東京に行かせてくれたなと。うちの長男は今16歳ですけど、まだまだ頼りないし、親元を離れてもすぐに戻って来るに違いないので(笑)。そもそも私なんて、東京に行くにはパスポートがいると思い込んでいた田舎者ですからね。母は母で、飛行機に乗るのはもちろん、旅行すらしたことがない人だったから、ものすごく怖い場所に連れて行かれる感覚だったと思います。

 上京が決まった時、私は母から「もう自分にしてあげられることは何もない。違う世界を見せてあげることはできないから、あなたが行って見て来なさい」と言われたような気がしていました。うちは裕福とは言えなかったので、このままでいたら、ずっとこの生活が続くことを母はわかっていたのだと思います。

――そんなお母様が亡くなったのは、ご長男が生まれる少し前だったとか。

 母が亡くなった2カ月後に長男が生まれました。亡くなった時はもう二度と立ち上がれないと思うほど悲しみに打ちのめされていましたが、それでも赤ちゃんはお腹の中ですくすく育ち、元気に生まれてくれました。それは本当に幸せで、産後は初めての育児でてんやわんや。そうこうしているうちに時が少しずつ癒やしてくれたように思います。

 今振り返っても母を失った悲しみは消えませんが、ちゃんと順番通り母を見送れたことを今はありがたく感じています。

大事なのは昨日の自分よりできたかどうか

――明るかったお母様に似て、いつも前向きな亜希さん。お子さんたちを育てる上で、心がけていることがあれば教えてください。

 やっぱり最後は気持ちの強さだと思うので、そこは強く言っています。それから、人と比べずに自分自身と比べることも意識させていますね。誰かと比べて勝った負けたと騒いでも仕方ない。大事なのは昨日の自分よりできたかどうかですから。

 自分自身にスポーツの経験は特にないのですが、子どもたちのモチベーションを上げさせるのは得意なんです。たとえば次男が試合中、調子が悪そうに見えた時、2人だけにわかる決まったサインを送るようにしているんです。すると、それを見た次男もハッとして冷静になる。まだ子どもなので緊張してパニックになってしまう時もあるんですが、それをやると一瞬で落ち着いたりします。

よく「うちは昭和臭い。古いよ」と言われます

――素敵ですね。精神的なコーチといったところでしょうか。

 そうですね。その代わり、もちろん結果も求めますし、試合中や練習中の態度に関しては厳しく言うことも。最近はすべてがゆるく、甘くなっているのではないかと感じることもあるので、こんな調子で成長するのかなって心配になってしまう。やっぱり厳しくするところはしないと、子どもはまっすぐ伸びないような気がします。

――今や、そういう考え方の父母のほうが少ないのかもしれませんね。

 こういう考え方にしても食事のメニューにしても、よく子どもたちから「うちは昭和臭い。古いよ」と言われます。でもそこで折れずに、これからも昭和の肝っ玉母さんを貫いていこうと思っています。(笑)