昔、まだ子供だったころ。リンゴと言えば、国光、紅玉、デリシャス、印度リンゴなんてのが通り相場で、今のように詩情豊かな名号を付けた、多種多様なリンゴは存在しなかった。
これらの古典的リンゴは、名前を聞けば、どんな形や色や味か、すぐに思い浮かんだものである。あの印度リンゴの、大きくて堅くて、水分も酸味も少ない風情が「味の記憶」として残っている。もしかしたら、まだどこかで作られているのかもしれないが、普通のスーパーでは絶えて見かけたことがない。今あれを食べてみたら、さて、どんなふうに感じるか……。
現代まで昔の名前で出ている品種といえば、まずは紅玉であるが、なんといっても、あの濃厚な紅の色、そして酸味が強く香り高い味わいには、紅玉ならではの独自性がある。
幸いに毎年、伊那谷で丁寧に育てられた大玉の紅玉を、季節になると送ってくれる人があって、私はこれをとても楽しみにしている。紅玉の出盛りは短く、その一時期を外すと、もう美味(おい)しいのを手に入れることは難しい。
なにしろあの色が美しいから、敢(あ)えて皮は剥(む)かず、よく洗って皮ごと調理して食べる。生のままで食べても美味しいのだが、紅玉に限っては、熱を加えるとまた一段とよろしい。
なに、調理といってもそれほど面倒なことをするわけではない。最も単純なのはコンポートに作ることで、そうして瓶詰にしておけば、一冬じゅう紅玉の好風味を楽しむことができる。
作り方は簡単で、芯のところだけ取って皮はそのまま一口に切り、多少の赤ワインと、すこし多めの砂糖と、そこにシナモンを加えて火にかけ、単純に煮るだけである。煮ていると果肉から水分がにじみ出てきて、やがて砂糖もシナモンも渾然(こんぜん)一体となってグツグツと煮え立ってくる。果肉が煮崩れるほど煮ずして、全体にまだシロップが充分残っているところで火を止め、清潔な瓶詰用のガラス壜(びん)に、煮え立っているやつをそのまま入れて、シロップ果汁も全部入れて、即座に蓋(ふた)をする。こうすることで壜内は完全に加熱消毒されるので、冷蔵すると日もちもし、かつ味はだんだんと染み込んで、紅色も美しいコンポートができる。
こんなに簡単で旨(うま)いリンゴ料理はない。あとはジャム代わりにパンにのせて食べるもよし、肉のソテーの付け合わせにするもよし、あるいは濃厚な牛乳を掛けてかき混ぜると、酸で牛乳が凝固して、ヨーグルト状になる。これを、イギリスでは「Apple fool」と言うが、いや、見て美しく、食べてはバカに旨いのだから、バカにはできぬ。良い紅玉さえ手に入れば、ぜひこんなふうに作って保存しておきたいものである。=朝日新聞2019年1月12日掲載
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