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目で食べる 宮城谷昌光

 私が生まれた愛知県の宝飯(ほい)郡三谷(みや)町は、のちに蒲郡(がまごおり)市三谷町となった。いまは静岡県浜松市に住んでいるが、ふしぎなことに、年々、愛知県と蒲郡市への愛着が強くなる。ただし私が住んでいる町を四字熟語で表現すれば、
 「嵐影湖光(らんえいここう)」
 と、いってよく、蒲郡の景勝にひけをとらない。
 問題は食べ物である。
 私の家が旅館であったことはすでに書いた。旅館の位置は魚市場から遠くなく、それだけに、毎日新鮮な魚がわが家にとどけられていた。いまでも強烈に憶(おぼ)えているのは板場の光景で、昼まえに、渡(わた)り蟹(がに)が大量に茹(ゆ)でられ、積み重ねられて山のようになっていた。湯気が立ち昇る赤い小山をみては、
 ――また蟹か。
 と、うんざりした。どうやら三河湾は渡り蟹の宝庫であったようで、三谷町ではどの家でも渡り蟹を容易に入手できたようである。その証拠に、町内の料理屋でだされる蟹は茹でられただけで庖丁(ほうちょう)がいっさいはいっていない。町民にとってはそれがあたりまえで、自分の手でその蟹を割って食べるのである。市外の客がその蟹をみたら、どうすべきか、わからないであろう。これでは食べられない、と怒る客もいるであろう。私としては、その食べかたは、手がよごれ、しかも手に蟹の強いにおいがつくので、嫌いであった。それゆえ私は実際には蟹をあまり食べていないのに、うんざりするほど食べたと感じ、その感じはいくつになっても消えなかった。
 ほかにも同様な物がある。
 マグロの刺身(さしみ)である。旅館でおこなわれた宴会が終わり、客が帰ると、どっと膳がさげられる。客が食べ残した物のなかに、かなりの量のマグロの刺身があった。当時のマグロの刺身は赤身がすべてであったから、大皿に残ったその赤色をみるたびに、気持ちが悪くなった。
 私はマグロにかぎらず魚の刺身が嫌いであったから、そのつど顔をそむけた。母は客が食べ残した刺身を全部は棄(す)てず、翌朝、甘辛く煮てくれた。それだけは私は好きであった。とにかく成年になるまで、いや成年になってからも、刺身をうまいとおもったことがなく、二十代の後半になってようやく食べられるようになった。
 人は視覚だけでも食べ厭(あ)きるということがあるらしい。
 蟹とマグロだけではなく、いまひとつマツタケもそうで、こどものころに食べたスキ焼きに、多くのマツタケがいれられた。そのころは豊富にマツタケが採(と)れた。が、私はマツタケをうまいとは感じず、シイタケを好んだ。マツタケを高級食材であると認めない自分がある。=朝日新聞2019年2月9日掲載