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「ダルちゃんは、私」と大反響!「私は私でよい」幸福を伝える はるな檸檬さん「ダルちゃん」

文/横井周子

変わるんだという思い

――『ダルちゃん』のストーリーやキャラクターは、長いこと頭にあったものでしたか。

 全然です。『ダルちゃん』を描く前にストーリーものを描きたくてネーム(※マンガの下書きのようなもの)を切っていた時期があったんですけど、それが本当に地獄の一年で。全然うまくいかなくて、描いても描いてもダメ。その時考えていたストーリーは忘れて少し別のことをしようと思った時に、「20代の女性に向けた共感を得られるものを週刊連載で」という依頼を資生堂の「ウェブ花椿」さんからいただきました。「ウェブ花椿」は詩の公募をされていたり、創作活動の後押しをされているメディアだったので、もともといる読者の皆さんにも楽しんでいただけるようにしたいなと考えていくうちに〈一人の女の子が詩を書くに至るまでの物語〉というアイディアが固まっていきました。お題をいただいたことで、自分の中に抱えていた思いがようやく結実したというか。

(c)はるな檸檬/小学館

――フルカラーで1回4ページというショート連載、仕事をしている独身女性が主人公、そしてタイトルが『ダルちゃん』。ということで、最初は高野文子さんが80年代末頃に描かれた『るきさん』(ちくま文庫)のような軽妙な作品をイメージして読んでいました。でも徐々に展開はよりシリアスなものになっていきましたね。

 『るきさん』大好きです。私は高野文子先生や大島弓子先生の作品が大好きで、サラッと描かれている中にシリアスなものがあったり、軽いタッチで深いことに触れる作品に強い憧れがありました。あんな風に誰かの腹の底に届くものをいつか自分も描けたら、という思いはずっとあって。『ダルちゃん』も第一話はライトな雰囲気で行くのかもと思いながら描いてましたね。でもダルダル星人は何なのかを描いていたら「これは笑いにして描き切れるストーリーじゃないな」と気がついて、だんだん作品のテンションが変わっていきました。

――『ダルちゃん』ははるなさんにとって初めての長篇ストーリーマンガです。描かれていて、これまでの作品と違う部分はありましたか。

 なにもかもが違いました。これまで私はすごく職人的な気持ちで、仕事として求められるものを描いている感覚が強かったんです。一番大きいのは絵柄かもしれません。デビュー前に編集さんに作品を見ていただいたら、小さいコマになにげなく描いたギャグっぽい絵がいいねと。そのままその絵での依頼が増えていったんですが、私としては適当に描いたような絵がメインになって「えっこれですか⁉」って(笑)。意外とシンプルな絵のほうが難しいんです。マンガを描くこと自体は楽しいんだけど、ミリ単位で表情が変わっちゃうのでいつもすごく手に力が入っていて、仕事が終わると立ち上がれないくらい消耗していました。
 絵を変えたい、何か主体的に自分の伝えたいことを描いてみたいと、ここ数年はずっとどこかで考えていた気がします。『ダルちゃん』も最初の頃の絵を見ると、期待されているのはギャグ絵だよねという思いと変わるんだという思いが葛藤しているのが自分でわかるんですけど。

(c)はるな檸檬/小学館

自分の感覚を取り戻す方法はみんな全然違う

――ダルちゃんにとっては自然体なんだけれど他人からは変に見えるという「ダルダル星人」の描写はマンガならではですよね。彼女が抱えている問題をもっとリアルに描くこともできたのではないかと思うのですが……。

 そこは最初迷ったところでした。でも自分の感覚を取り戻す方法って実はみんなものすごくバラバラだから、記号化しようと考えたんです。
 ダルダルにもいろんなダルダルがありますよね。服に気を遣わないとか、家では裸になるとか、……たとえば奥さんにだけ赤ちゃん言葉で話すおじさんとかも。大多数の人は気持ち悪いって思うかもしれないけど、その人にとっては赤ちゃん言葉を使うことが本当の自分に戻れる唯一の方法かもしれない。そういう色んなダルダルをそのまま描くと絵としても生々しくなるし、当てはまらない多くの人たちが拒絶反応を示すだろうなって。「ダルダル星人」というファンタジーにすることで初めてみんなが読めるものになるのではないか、と。

――素晴らしい発明ですね。

 赤ちゃん語を使う人にも、家で裸になる人にも、男性にも女性にも色んな人に「ダルダル星人は私のことだ」と思って読んでいただけたら嬉しいです。

――ダルちゃんと会社の先輩・サトウさんの関係も印象的でした。

 一人で詩を書くところへたどりつくって結構ハードルが高いなと思うんです。自分が本当に信頼できる人と出会うこと、その人が教えてくれたものに感動したり自分を後押しされるような経験をすること、そういうものがあってやっと創作に踏み出せるんじゃないかって。私にもそういう存在がいるんです。『れもん、よむもん!』(新潮社)でも描いたのですが、高校時代からの友人のはるなちゃんという子が、ずっと色んな素敵な本を教えてくれていて。

(c)はるな檸檬/小学館

――サトウさんがダルちゃんに貸した詩集は実在すると知って、ちょうど文庫化されたものを読んだら涙が止まりませんでした。

 笹井宏之さんの歌集『えーえんとくちから』(ちくま文庫。作中に登場するのはパルコ出版から出ていたハードカバー版)ですね。何年か前にはるなちゃんからもらって、私もものすごく感動した本です。
 そもそもダルちゃんには作中で何か詩を読んでもらいたくて、イメージソースにしようと詩集を探していたんです。でも何冊読んでもやっぱり『えーえんとくちから』が頭を離れなくて。ひどく傷ついているダルちゃんが一冊の詩集を通して光を見るような経験をする――そんな本は、どうしてもこれ以上のものを思いつきませんでした。『えーえんとくちから』を読んでいると、鮮やかで優しくて透明で、こんなふうに世界を見てそれが成り立ってということに自分までも肯定されるような気持ちになるんですよね。
 厳密には詩集ではないかもしれないけれど笹井さんご自身が「短歌という短い詩を書いています」と仰っていたし、タイトルを出すわけでもないし、それに誰もこの本が何であるかなんて気にしないだろうと「灰色のうすい布張りの表紙で若くして死んだ人の」詩集として描いたんです。ところが予想外に読者の方にはバレていて、「やっぱり作品には何も隠せないんだな」とぞわっとしましたね(笑)。

(c)はるな檸檬/小学館

ひとりで幸福はなしえる

――ヒロセくんとの恋をきっかけに、美しい夜明けから始まる第二巻で物語は怒涛の展開を迎えます。

 ヒロセくんは、私にとっての魅力的な人を描いたつもりです。不器用ではあるけれども恋愛対象になり得る人物を描いたらこうなりました。

――この恋の成り行きは最初から決めていましたか。

 決めていましたね。この作品ではそれでどうしても伝えたいメッセージがあったので。恋愛はとっても素敵なことだけれど、そのもっと基盤にはあなたがあなたを、私が私を愛することがある。自分自身を受け入れて認めることは恋愛で誰かと愛し合うことよりも土台にあるものだと思うんです。そこが逆になってしまうと基礎がゆるくて、上に立てた家もグラグラしちゃうから。

――「空はどこまでも高く 街はきらめき 世界は美しい」で始まるモノローグは、まだ読んでいない方にはぜひ作品の中で出会っていただきたいのですが、圧巻でした。

 ありがとうございます。『ダルちゃん』で伝えたかったことは、あのモノローグに尽きると私も思っています。ひとりで幸福ってなしえるんだよってすごく思うんです。誰かといてもいいし、大人数で過ごすのもすごく楽しいけれど、最終的に自分を幸せにするのは自分しかいない。金持ちの有名な男性に見初められて自己肯定感が満たされたように思う事よりも、自分で自分を認めて受け入れることができたらそのほうが価値があるから。ダルちゃんはたまたま詩を書く人だったけど、何かを表現するからすごいんじゃなくて、自分の本心にちゃんと耳を傾けたことを絶対に肯定したいと思っていました。

(c)はるな檸檬/小学館

――ダルダル星人の姿を通して、ダルちゃんの意識の変化が伝わってくるところも後半の見どころです。擬態の見え方も少しずつ変わっていきますね。

 ダルダル星人の姿は、ダルちゃんの気持ちや状態を言葉で説明しなくても1コマで表現できるので本当に便利でしたね。擬態についてはラストのダルちゃんとサトウさんの会話が自分でもよくたどり着いてくれたなって感じで。
 ちなみに最後に小さなコマでサトウさんが「擬態……?」って疑問形で言ってるんですけど、実はこのコマはこっそりミステリーの最後なんかによくある一番怖いシーンっぽく仕掛けたつもりなんです(笑)。「えっ、何もわかってなかったの?」っていう不気味さをちょっと出したくて。でもこういうことってよくあると思うんですよね。すごく仲が良くて素敵な人で心を許してる相手なんだけど、実は見ているものが全然違った……みたいな。それを別に否定するでもなく一緒にそのまま生きていくっていうのも描きたかったことなんです。解釈は自由なので色んな余地を残しつつ、このミステリーゴマをもとにページを巻き戻すとまたちょっと違う風に見えてくるシーンがあるかもしれません。

――どんなに仲良しでもひとりひとりの感覚は違う。これも作品の根幹にもかかわる1コマですね。もう一度読み返したくなりました。今日はありがとうございました。