二十世紀の小説を読みなさい
けっきょく人間は過去でできている、本欄を担当したこの二年間、ときおり、しかし繰り返し付き纏(まと)われたのは、自分でも意外なことに、まだ物書きになるとは思っていなかった、なろうとさえ考えていなかった二十代の終わりから三十代の初め、たまたま新聞を開いて目に留まったコラムとして読んだ、大江健三郎氏による「文芸時評」(一九九二年四月~九四年三月本紙に掲載)や、宮台真司氏による「ウオッチ論潮」(一九九六年四月~九七年三月同)の記憶だった。純文学とエンターテインメントの境界が曖昧(あいまい)になったという通説に対する反論、その一方での日本の純文学の向かう将来への危惧、世界を拒絶しつつ汚濁にまみれて生きるブルセラ少女という新しい実存の提示……必ずしも深く共感したというわけではなかった、しかしそれらの文章を読んだときに感じた、読む者にも能動的に考えるよう畳み掛けてくる熱量、歴史あるコラムという場を弁(わきま)えない率直さ、そうした熱量や率直さに根差した「文芸時評」を自分も今、特に若い読者に向けて、書かねばならない、ほとんどそのことだけを意識しながら、この二年間は原稿を書いた。しかし今どきの若者は新聞の「文芸時評」欄など読みやしないだろう? そんな先入観に囚(とら)われた懸念は、この二年間に得た反響によって払拭(ふっしょく)された、ならば自身の担当する最終回となる今月も、これから小説を書きたいと考えている若い人たちのために、今から十五年前、ある人から贈られた言葉をここに記そう――本気で小説を書こうと思うのであれば、今すぐ文芸誌など読むのは止(や)めて、二十世紀の小説を読みなさい!
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二〇一〇年から刊行が始まった吉川一義訳による岩波文庫版、マルセル・プルースト作『失われた時を求めて』(全十四巻)は本年三月現在、第十三巻となる「見出(みいだ)された時 Ⅰ」までが出版されている。第一次大戦の終結後、長い療養生活を終えパリに戻ってきた主人公の「私」は、夕日に映える木々の幕を見ても、土手の可憐(かれん)な花々を見ても、もはや何の歓(よろこ)びも覚えないことで、自身の文学的才能が枯渇してしまったのではないかという疑念に再び囚われ始める、「投げやりな気持(きもち)と倦怠(けんたい)感」に埋もれていたそのとき、「百年のあいだ探しても見つかるまいと思われた唯一はいることのできる扉をそうとは知らずに叩(たた)くと、それが開かれる」。ゲルマント大公邸の中庭をぼんやりと歩いていた「私」は、侵入してきた車に危うくぶつかりそうになり、敷石の段差に躓(つまず)く、するとその瞬間、全く唐突に、「えもいわれぬ幸福感」に包まれ、「まぶしく茫漠(ぼうばく)とした光景」が目の前に広がる、それはかつて「私」が母親と訪れたヴェネツィアだった。「サン・マルコ洗礼堂の不揃(ふぞろ)いな二枚のタイルを踏んだときに覚えた感覚が、その日、その感覚と結びついていたほかのありとあらゆる感覚とともに、私にヴェネツィアをとり戻してくれた」「死さえ取るに足りないものと想(おも)わせるほどのなにか確信にも似た歓びを与えてくれた」。そして、「われわれが現実と呼んでいるものは(中略)こうした感覚と回想とのある種の関係」に他ならず、「この関係こそ、作家が感覚と回想というふたつの異なる項目を自分の文章のなかで永遠につなぎ合わせるために見出すべき唯一のもの」であることを、「私」はついに知る。
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しかし現代文学の先駆となったこの作品の刊行のほぼ百年後の読者である私たちがここから読み取るべきは、名高い「無意志的記憶」をめぐる考察以上にやはり、言説の同質化を強いる戦争の時代やドレフュス事件の渦中にあっても、自らに与えられた芸術家としての使命を全うしようとする、一人の人間の発する夥(おびただ)しい熱量なのだろう。その意味では、本作の翻訳に十年の時間を費やして取り組んでいる吉川一義氏の熱意にも敬意を表したい、そうした人々が繫(つな)ぐ流れとして以外には、文学は存在し得ない。=朝日新聞2019年3月27日掲載