平田オリザが読む
この連載では、日本の近代文学の黎明(れいめい)期からを、できるだけ時系列で紹介したいと考え、誰から出発をしようかと悩んだあげく、まず、この人を選んだ。
樋口一葉は、浅草、吉原界隈(かいわい)の市井の人々の日常を描き続けた。『たけくらべ』はその代表作だ。主人公は三人。十三歳の正太郎は一つ年上の美少女・美登利に思いを寄せている。しかし美登利は、表向きは憎まれ口をたたいて仲が悪く見える信如を密(ひそ)かに好いている。
思春期のたわいもない恋愛が、全編、細やかに描かれていく。だが三人はやがて、大人への階段の門口に立つ。美登利は姉と同じ女郎になる宿命。信如は寺を継ぐために別の学校に進む。邪気のない遊びや喧嘩(けんか)に興じていた子どもたちにも、それぞれの人生が待っている。
樋口一葉の作品は、確かに現代の読者には読みにくい。句読点が少なく、一文が長く、その中に会話体と地の文が混ざっている。さらに主語が移り変わるので、誰の視点で書かれているのかがつかみづらい。この点、近代的な文章とは言いがたい。
一方で一葉の作品が、森鷗外を筆頭とする、新しい文学、新しい日本語を模索していた文筆家たちから圧倒的な評価を受けたのは、先に掲げた主題の近代性にあったのではないか。声に出して読むと、その文体のリズム感の素晴らしさも体感できる。
鷗外のような美文調ではなく平易な文体(いまの私たちには平易とは感じられないが)で、人間の内面、近代的自我を描こうとした点で、一葉は確かに、日本近代文学の出発点に位置した作家だと言えるだろう。
ただ、彼女の人生はあまりにも短かった。本作以外にも、『大つごもり』『にごりえ』といった代表作は、死の直前、「一葉、奇跡の一四ケ月」と呼ばれる短期間に書かれている。
あと十年、一葉が長生きをしていれば、日本文学は別の発展をしていたかもしれない。文学における女性からの視点も、もっと多様なものになっていたかもしれない。=朝日新聞2019年4月6日掲載