関西は鯛(たい)の文化である。町の魚屋でもスーパーでも、瀬戸内海や和歌山沖で揚がった尾頭付きの天然鯛がふつうに並び、お正月でもない限り、三十センチぐらいの大きさで一尾二千円ほどだろうか。そう、関東では高級魚の代名詞だが、関西では違うのである。
そういうわけで、物心ついたころから私の元旦の食卓の記憶といえば、まずは鯛だった。ふだん料理などしない父が、大晦日(みそか)には庭にレンガを積んで即席のかまどをつくり、炭をおこして金串を打った尾頭付きの鯛を焼く。ピンと跳ね上げた尻尾やひれに、粗塩を白く吹かせた睨(にら)み鯛である。ただし、正しい作法とは違って、元旦には家族の胃袋に収まってしまい、残った骨はそのままお雑煮の澄まし汁になる。捨てるところがないのである。
キツネ色に焼けた皮が弾(はじ)けたところに真新しい祝い箸を入れ、真っ白な身をつまみ取って、小皿の醤油(しょうゆ)をちょんと一、二滴つける。透明な醤油にきれいな脂の玉が浮いたところで、いざ口へ。脂ののった白身の美味(おいし)さはまさに関西人の舌に一年の始まりを告げるものであり、お正月のご馳走(ちそう)はほかにもたくさんあるけれど、やはり最初の一口はこれでなければ始まらない。
ちなみに一番美味な部位は眼の周りで、父はいつも、ほら、ここが美味しいんだと、とろりと甘い身を子どもたちに取り分けてくれたものだった。そして大人たちは、頭から尻尾まで一尾の鯛を大事そうにつつきながら、お燗(かん)にした酒をゆっくりゆっくり傾け、最後にはうつくしい純白の骨と尾頭しか残らない。
すると、母がその骨をもってキッチンに立ってゆき、昆布出しで煮出してお雑煮のための澄まし汁をつくり始める。入れるのは日本酒と数滴の醤油と塩。お雑煮の具は焼いたお餅と三つ葉に、香りのゆず。きわめてシンプルである。ともあれ、そんな舌を植え付けられた子どもは、長じても同じ舌を保ち続け、六十年以上経ったいまも、お正月には鯛を焼き続けている。
一方、鯛は一年じゅう食卓に上る普段着の魚でもあって、新鮮なものなら刺身や昆布締めがいい。残った頭はもちろんアラ炊きにする。また、大きいものならアクアパッツァ、小さめならブイヤベースや鯛めしにする。いずれも客人を迎えるときの便利なお助け料理でもあり、とくに関東の友人たちには評判がいい。大きな土鍋の蓋(ふた)を開けた瞬間、炊きあがったご飯の上に尾頭付きの鯛がどんと横たわっている風景は、それ自体がご馳走である。
とはいえ私の場合、一番の美味の記憶はやはり家族の顔とともにあり、元旦の食卓に載る睨み鯛にまさる鯛料理はない。こんなことを書いていると、急に父に会いたくなってきた。=朝日新聞2019年4月13日掲載
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