ロンドンの南西に、サウサンプトンという港町がある。会社を辞めて世界一周をしていた時、立ち寄る予定もなかった(むしろ地名さえも知らなかった)町なのだが、ワケあって1泊することになった。
そのワケというのが、ミュージカル『ビリー・エリオット』である。およそ2ヶ月に及ぶ旅の終わりは、ロンドンとニューヨークで観劇三昧の10日間(夢のような日々!)を過ごそうと決めていた。数ある作品の中でどうしても見たいと思ったのが『ビリー・エリオット』だった。『リトル・ダンサー』の邦題で上映された映画をミュージカル化した作品で、2005年にロンドンで開幕し、08年にはブロードウェイにも進出している“名作”だ。日本初演(17年7月)を前に、どうしても見ておきたいと思ったのだ。
で、「どうせロンドンで上演されているのだろう」と油断をしていたのだが、いざチケットを取ろうとすると、絶賛国内ツアー中でロンドンでは上演していないことが分かった。タイトな旅程を鑑みつつ、公演日程とにらめっこして、サウサンプトンの公演ならば見られるかもしれない。思い立ったが吉日ということで、ロンドンからバスで2時間程度のサウサンプトンへ向かった。
街の第一印象は「どこにでもありそうな地方都市」だった。オフシーズンということもあるのかもしれないが、観光客らしき人はほとんどいなかったし、街の中心には大型のショッピングモールがあるぐらいで、私が泊まった民家の周辺は空き家が目立った。それでも、はるばる『ビリー・エリオット』を見に来た私は、胸がはずんだ。
メイフラワー劇場でソワレ(夜の回)のチケットを買う。開演まで、海事博物館(サウサンプトンはあのタイタニック号の母港として知られている。博物館の展示もタイタニック号沈没事故を多く取り上げていた。この場所に来るまで知らなかったことだらけだ)を見学しつつ、その時を待つ。
素晴らしい舞台だった。約3時間の上演時間はあっという間に過ぎ去った。技術トラブルで5分ほど舞台が中断したけれど、『ビリー・エリオット』を初めて生で見られたという感動があった。作品の舞台設定がイギリスの田舎町なので、絶妙なリアリティがあったこともよかった。本当に見に来てよかった、ギリギリの日程でも来られてよかった。こういう予期せぬ偶然の出会いや喜び(それをセレンディピティという)があるから、私は旅を続けているのだ、とさえ思った。もしかしたら一生訪れるチャンスがなかったかもしれないサウサンプトンという街が、大切な旅の思い出の地になった。
先日、島津冬樹『段ボールはたからもの―偶然のアップサイクル―』(柏書房)を読んだ。島津さんは路上や店先に放置されている段ボールから、財布をつくるというプロジェクトをしているアーティストだ。この本は、段ボールを求めて旅をした記録が書かれている。本の中にこんな文があった。
段ボールに同じものは二つとありません。それぞれの段ボールにストーリーがあります。そのストーリーを想像する時間が、一番幸せな時間です。そのとき段ボールは僕にとって、どんな小説よりも面白い読み物になります。サハラ砂漠の砂に埋もれていた段ボールも、ニューヨークの街角にある段ボールも、どちらも同じくらい僕にとっては面白い。(8ページ)
こういう段ボールがあるといいな。段ボール旅行の前にはいつも、まだ見ぬ段ボールへの夢を膨らませます。その期待が叶うとは限らない。裏切られることもある。それでも夢を見ることそのものが楽しいのです。裏切られることもまた、旅の楽しみなのかもしれません。(104ページ)
私はあいにく段ボールを探して旅をしたことはないけれど、なんとなく島津さんの情熱がわかるような気がした。段ボールそのものへの愛ももちろんあるのだけれど、彼にとっては段ボールを探すという行為、旅先での思わぬ段ボールとの出会いも含めて楽しいのだろう。
偶然を楽しむ。そんな旅をこれからも続けたい。