大澤真幸が読む
大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇の代替わり毎(ごと)に行われる祭儀だ。かつては即位礼と一体であった。「折口学」と呼ばれた独自の民俗学を展開した折口信夫が、大嘗祭の起源に遡(さかのぼ)ることを通じて、天皇とは何かを語ったのが「大嘗祭の本義」である。昭和の大嘗祭の少し前に行われた講演だ。想像力に支えられた折口の洞察は、文献等(など)で確実に実証できる範囲を超えたところにまで及ぶ。
折口によれば、大嘗祭の中心的な意義は、新天皇の身体に天皇霊を付けることにある。天皇霊は、外来魂――天つ国からの外来神(まれびと)のエッセンス――である。天皇の身体は「魂の容(い)れ物」だ。すると、天皇の権威の源泉は、万世一系の天皇家の祖霊にではなく、天皇が即位したときに(古代においては毎年繰り返し)己の身体に入れた天皇霊にある、ということになる。
その天皇霊を付着させるために、新天皇はまず「真床襲衾(まどこおふすま)」等と呼ばれる特別な衣で身を包む。衣を取ることが禊(みそぎ)の完了を意味した。真床襲衾を除(の)けることで天皇に外来魂が付くのだ。
次いで天皇は高御座(たかみくら)から言葉を発する。それが祝詞(のりと)である。祝詞は、神の言葉の反復である。普通は天皇の言葉の伝達者を「みこともち」と呼ぶが、天皇が既に神の言葉(ミコト)の伝達者だったのだ。この言葉が届く範囲が天皇の領土、天皇の人民である。
それに応えて群臣は寿詞(よごと)を唱える。寿詞は、自身の魂を天皇に贈与することを意味し、服従の誓いである。諸国が米を献上することも寿詞と同じ意義をもっていた。稲穂には魂が付いているからである。
以上が大筋だが、興味深い細部がある。天皇の禊に奉仕する女性がいた。この女性は、衣のまま湯(=斎〈ゆ〉)につかった天皇の衣の紐(ひも)を解く役目を担う。折口は、この「水の女」を重視し、戦後の「女帝考」では、神の声を受け取るのは一人の男ではなく、女と男の対である、と論ずるようになる。天皇は男系だと言われるが、折口はむしろ、天皇の秘められた根源に女性的なものを見たのだ。=朝日新聞2019年5月18日掲載