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「夜のリフレーン」「夜のアポロン」 ゾクゾクする 小説の無限の魔力 朝日新聞書評から

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2019年05月25日
夜のリフレーン 著者:皆川博子 出版社:KADOKAWA ジャンル:小説

ISBN: 9784041072264
発売⽇: 2018/10/26
サイズ: 20cm/293p

夜のアポロン 著者:皆川 博子 出版社:早川書房 ジャンル:小説

ISBN: 9784152098504
発売⽇: 2019/03/20
サイズ: 20cm/413p

夜のリフレーン/夜のアポロン [著]皆川博子

 20年近く前、著者にお会いしたことがある。歴史とミステリーについてお話をうかがったのだが、かけだしの私は的確な問いを投げかけることができなくて、華奢でやさしい風貌や柔和な語り口のどこにあの刃物のような鋭さ、熱情と幻想を生みだす原動力がひそんでいるのかという謎を抱えたまま退散してしまった。
 皆川作品は多岐にわたる。『恋紅』や『新・今川記 戦国幻野』のような時代歴史小説、『薔薇忌』のような幻想小説、『死の泉』のようなミステリー……様々なジャンルで高い評価をうけているものの、実際はジャンルなどすっとばし、時空の壁も、ときには日本という枠からもとびだして、自由自在に物語を紡ぎだす。それでいて、どこから入っても著者にしか描けない茫漠としたーー孤独と欲望につかれた人間たちが影絵のように蠢くーー闇の底へ導かれる。読みだしたら最後、絡めとられ異界へ連れ去られてしまう皆川作品の魔力はどこからくるのか。
 その謎を解く鍵がこの2冊に隠されている。短編コレクションはこれまでも(主として2010年代に)相次いで刊行されているが、この2冊に収められている短編は、著者があとがきで「長い歳月の下に埋もれ存在も定かではなくなっていた短篇たち」と記しているとおり、皆川ワールドを愛する編集者たちの手で根気よく拾い集められた初期の作品が中心である。昨年刊行の『夜のリフレーン』は幻想小説、新刊の『夜のアポロン』はミステリーと銘打たれているが、明確な境界線はない。どちらにも共通するのは、背すじがざわざわする不穏な感覚と底知れない闇に墜ちてゆく疾走感、そして果てしない虚無感である。
 「墜ちろ、墜ちろ、と呪いの言葉を吐く晶子は、倖せだ。」
 「ウェディング・ベル。
 その後に、〝日常〟という罠(わな)が、腭(あぎと)をひろげていたのだ。」
 「失われたものの残影は、微(かす)かな、倖せの予感と酷似している。」
 「軀(からだ)は死ななかったが、心は、死んだ。そう、わたしは思った。」
 いずれも『夜のアポロン』の中の一節。ひとつひとつの言葉に、怨念や冷笑や皮肉や絶望が刻まれている。しかもそれらは、舞台の台詞を口にしたときのように生々しく立ち上がってくる。二次元の文章が、著者の手で三次元にも四次元にもひろがってゆく。だからざわついたりゾクゾクしたり、頭だけでなく体まで反応してしまうのだろう。
 作家の初期の短編がこんなふうに息を吹き返すのはそうそうあることではない。優れた小説だけに与えられた特権だ。著者の凄味を再認識すると同時に、小説の無限の力を垣間見たような気がした。
    ◇
 みながわ・ひろこ 1930年生まれ。『壁 旅芝居殺人事件』で日本推理作家協会賞、『恋紅』で直木賞。『薔薇忌』で柴田錬三郎賞、『死の泉』で吉川英治文学賞、『開かせていただき光栄です』で本格ミステリ大賞。