「あの頃は心をなくしていた」。2000年、大学卒業後に入った会社は正社員がほとんどおらず、雑務がのしかかり、休みもなく、明け方に帰る日も。食事時間も十分にとれず、2カ月で8キロ痩せた。テレビを見る暇も友達と会う時間もなく、隔絶された世界だった。
過労で「意識がもうろうとして、仕事中に歩きながら体が沈み込んで寝てしまう体験をした」。過酷な日々が続くうち、ある朝、起きようとしても、体が動かない。過労で入院、その会社は1年で辞めた。
ベンチャー企業などに転職、今は6カ所目の職場だ。07年に『被取締役(とりしまられやく)新入社員』で第1回TBS・講談社ドラマ原作大賞を受賞し、デビュー。等身大の目線でサラリーマンものを中心に手掛ける。平日は勤め人、週末は作家になる。
本書は体験を踏まえた小説。ブラック企業に入社した新卒の男性社員3人が会社に泊まり込み、仕事に明け暮れ、心身をすり減らす日々を描く。深夜や早朝にも投資用マンションなどの飛び込み営業をし、会社のために滅私奉公するように洗脳されていく。疲労困憊(こんぱい)し、立ったまま居眠りをする場面も。「もはやちょっとした臨死体験」と書いた。
「自分も、一カ所で仕事が続かなかったら、他でも通用しないと言われ、追い込まれていった。逃げ出せなかった人たちに会社を辞めてもダメじゃない、生きていることは捨てたもんじゃないと伝えたい」
題にもこだわった。編集長や編集者も交えて出した案は「勤め人のブルース」「残業、君に捧ぐ」「残業の友」など約100。編集者からの「逃げ切れなかった君へ」という提案に「心身が疲れすぎると、逃げたいという気持ちさえももてなくなる。その思いを込めて『逃げ出せなかった』にしました」。 (文・写真・山根由起子)=朝日新聞2019年5月25日掲載
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