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暖簾は語る 青来有一

 高齢の夫婦が営む鮮魚店が近所にあった。御主人は内向的で店の奥で黙々と魚を捌(さば)き、店先では外向的な奥さんの客相手の笑い声が響く。「内向」「外向」というこの性格分類は、私たちの暮らしにとけこみ、日常会話でもしばしば使われる。もともとは心理学者のC・G・ユングが提唱した考えで、もちろん性格の善し悪しではない。ただビジネスの現場によっては、最近、コミュニケーション能力の高さばかりが求められ、内向的な人々はちょっと生きづらいかもしれない。

 長崎市からクルマで一時間三十分ほどの海辺の温泉地に、年に数回訪ねる居酒屋がある。四季折々の旬の魚を食べるために十年以上も通っている。八十代の元気なお母さんが店内で客を相手にし、五十代の息子さんは厨房(ちゅうぼう)で黙々と調理をしている。有明海、橘湾、五島灘といった長崎周辺で獲(と)れた地場の魚がおいしい。刺身に、焼き魚、煮つけ、てんぷら、どれも旨(うま)い。料理人は腕はいいが、寡黙で内向のひとである。それでも十年も通っているとぼちぼちと話をするようになった。

 彼が教えてくれたのは、魚は旬を選ぶのはもちろんだが、生け簀(す)でしばらく泳がせたあと、〆たら丁寧に血抜きをする。また必ずしも新鮮ならいいわけではなく、寝かせてしばらく熟成させるのもおいしくなるコツだという。ぼそぼそと話をしながらも炭火を熾(おこ)すためのウチワを扇(あお)ぐ手を休めない。焼き魚には炭火を使うのだ。お母さんの話では小学生の頃には釣った魚を自分で捌いていたというから天性の資質らしい。

 研究熱心で、驚いたのは、料亭などでの修業経験はなく、まったくの我流だという。アジ、ヒラメなどのほか、春は赤貝、マテガイ、ウチワエビなど季節ごとの魚介の種類も多く、大きめのアラカブ(和名はカサゴ)が入ったときは活(い)き造りで透明な刺身をポン酢と紅葉おろしで食べ、アラはみそ汁で魚一匹味わい尽くした。風雨でぼろぼろになった暖簾(のれん)はいつしか店の内側に掛けてある。「内向」のまさにシンボルだ。それでも隠れた腕前と味を知っている人は多く、はるばる訪ねて来る常連客が途切れることはない。自らの料理を誇ることもない、伏し目がちなお腹(なか)が出たオッサンの内気さのなんと奥ゆかしいことか。

 相手の目をまっすぐに見て話しなさいと昔からずいぶん教えられてきたが、あまりに一面的に外向的態度とコミュニケーション能力ばかりを追い求めると、世の中、隠れた豊かさを失うのではないか。目を見ないひとがいてもいい、内気な人もいないと困るといったぐらいの包容力、寛容性、トレランスも同時に学んでいないと、店の中に掛けられた暖簾は見えてこない。=朝日新聞2019年5月25日掲載