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「文学」の働き 作家・小野正嗣

中村真由美 水牛

橋をかける 世界と私に

 まるで自分のために、自分にだけ向けて書かれているかのように思える作品に出会った経験があるはずだ。そのとき、まだ言葉にならず胸の内にあった喜びや驚き、悲しみや不安が、「そうだ、それだ」とはっきり像を結ぶ。そして、そのことで世界と〈私〉の関係に確実に変化が生じる。息がしやすくなる。
 文学がもたらすこの〈不思議〉をなんと表現したらいいのか。そう考えていたときに、ある本を読んだ。そしてタイトルを見つめながら、「そうだ、それだ」と納得した。
     
 『橋をかける』(文春文庫)。これは、美智子上皇后が皇后であった1998年に、国際児童図書評議会の世界大会に寄せた基調講演の原稿を収録したものだ。
 そこで皇后は、生きるとは、自分と周囲との間に、自分と自分自身との間に絶えず「橋をかける」ことだと言う。この橋が失われるとき、「人は孤立し、平和を失います」。
 そして子供時代の読書を振り返りつつ、いくつかの本が「自分を楽しませ、励まし、個々の問題を解かないまでも、自分を歩き続けさせてくれた」と回想する。読書は彼女にとって、「外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げ」るための「大きな助け」となったという。
 この世界大会のテーマが「子供の本を通しての平和」であり、少女時代の彼女の心に深く刻まれた本の多くが疎開中、つまり戦争という暗い時代に読まれたものであることは示唆的だ。そこには彼女の〈平和〉への強い意志が感じ取れるからだ。
 この読書を愛する少女が、のちに皇后として行なったことのすべてが、〈橋をかける〉ことだったとは言えないか。社会において忘却され疎外された人たちに、〈祈る〉ように心を傾け、寄り添い、そうしたいわば〈見えない対岸〉にいる人たちと僕たちとの間の架け橋となること。
 ここには〈文学〉と呼ばれるものが果たす大切な働きの一つがある。
 この人が二つの言語に橋渡しをする〈翻訳〉の実践者であることにも注目したい。そして彼女が選・訳した『THE MAGIC POCKET』(文芸春秋)の著者は、「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」などで知られる詩人まど・みちおである。
 この詩人の詩的世界に触れたい者にとって、谷川俊太郎編『まど・みちお詩集』(岩波文庫)は最良のガイドだが、104歳で没した詩人の晩年の言葉を集めた『どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』(新潮社)も素晴らしい。
 「私の詩は、『今日はこのように生きました』っちゅう/自然や宇宙にあてた報告なんだと思います」
 ああ、この人もまたずっと橋をかけてきたのだ。まどの場合、その橋がつねに、どこにでもある。ありふれた小さなモノたちに支えられているのがたまらなくステキだ。
 詩はどこから生まれるのか?「かけがえのない自分自身がものをいう感じです」。では誰に向かって? 「自分を自分にしてくださっているものに向かって」
 書くとは、〈私〉が心から感じる〈不思議〉〈驚き〉の〈実感〉からしか生まれない。だが書くことは、〈私〉を〈他なるもの〉へ開き、宇宙の万物とつながる取り替えのきかぬ存在として「ここに いる」という感触を取り戻させる。だから、まどの詩を読むとき、僕たちは〈あこがれ〉や〈なつかしさ〉に満たされるのだ。
     
 先日亡くなった文芸評論家の加藤典洋は、彼の名を一躍有名にした『敗戦後論』(ちくま学芸文庫)と同時期に書かれた名著『言語表現法講義』(岩波書店)の中で、「うれしい、ステキだ、という感情は、自分からしか発しません」と言っている。
 加藤にとってもまた、書くことの出発点はつねに自分の〈実感〉だった。文章を書くためには、書き手は自分から離陸し、物語が、上から垂らしたロープではなく、ハーケンにロープを通しながら下から崖を登るようにしなければならないという。
 いったん自分から離れ、徒手空拳で試行錯誤をくり返す。汚れても失敗してもいい。でもそうしなければ、書き終えた文章から、「あこがれ、ステキだ」という気分が伝わってくるはずがない。
 上から与えられる権威や真理をまず疑った加藤は、自らの書き方・考え方を「見えない対岸にむかって橋を架けるしかた」だとも言っている。自分の〈実感〉に噓をつかず書き続けた〈ステキ〉な作家の冥福を心から祈りたい。=朝日新聞2019年5月29日掲載