江戸時代、一人の人(壱人〈いちにん〉)が二つの名前(両名〈りょうめい〉)を使い分け、ある時は武士、ある時は百姓と、身分の垣根を自在に越えていた――身分制度の常識を覆す「発見」を一般向けの本にまとめた。
「歴史学者の間でも、身分は越えられないというのは常識でして。マルクス史学の発展段階論にとらわれてきた影響もあるでしょうが、最近は実証的な研究も進んでいます」
研究に取り組んで約10年の成果。最初に出会ったのは、尾脇さんの地元・京都の公家に仕える大島数馬という侍と、同じく京都近郊の村に住む利左衛門という百姓だった。
「大島家に残る膨大な日記を読み込んでいく中で、実印も筆跡も同じなのに違う名前で出てくる2人を見つけました。ひょっとしたら同じ人物なんじゃないかと調べたら、周囲の人たちも、2人が同一人物だとちゃんと知っていることがわかった。面白くなりましたね」
ある日、大島家に泥棒が入った。すると、村の下役が「数馬さん、被害届はどっちの名前で」と聞きにくる。数馬は武士の名前で届けるといろいろ面倒だからと、「利左衛門の名前でやってくれ」と答える……。
「役人もわかって黙認している。そんな現象をどう解釈したらいいかが、難しいところでした」
出会ったのは数馬と利左衛門だけではない。本書には数え切れないほどの事例が挙げられている。
「(登場人物は)応仁の乱並みじゃないかな。でも、みんな名もなき者ばかりです。どっちかというと、そういう人たちが好きなもので」
昨年は『刀の明治維新 「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館)で、刀を帯びるのは武士だけという常識に異を唱えた。佛教大講師を務める新進の近世史家。実証的研究から次に覆すのはどんな常識か。(文・今田幸伸 写真・滝沢美穂子)=朝日新聞2019年6月15日掲載
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