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文学賞の審査 作家・小野正嗣

瀬尾夏美 大切な石

多様性、ぶつかり合ってこそ

 人はどのようなきっかけで小説と出会い、それが読みたくなるのか。
 小説の選択の指標として文学賞はどうだろうか。僕がかなり頼りになると思っているのが、イギリスのブッカー賞である。
 カズオ・イシグロも歴代受賞者に名を連ねるこの文学賞は、2014年からイギリスや英連邦諸国だけでなく、国籍を問わず英語で書かれた全世界の小説を対象とするようになった。母集団がとてつもなく大きい。受賞作はむろん、最終候補作の質の高さも期待できるというものだ。
 ちょうど2015年受賞作、マーロン・ジェイムズ『七つの殺人に関する簡潔な記録』(旦敬介訳、早川書房)が刊行された。ジェイムズはジャマイカ出身。作中で「歌手」とだけ名指されるボブ・マーリーの暗殺未遂事件を軸に、そこに関わった複数の人物が自らの人生について語る多声的な構造になっている。その競演する声が、70年代のジャマイカ社会の置かれた複雑な政治状況を浮かび上がらせているように思える……。
 思える、と歯切れが悪いのは、引き込まれるように読みながらも読了にはほど遠いからだ。「簡潔な記録」? しかし翻訳では2段組みで約700ページの厚さなのだ!
 前から読みたかったが、原著にはジャマイカの現地語パトワが多用されており、手が出せなかった。その大著が日本語で読めるようになって嬉(うれ)しい。
 昨年10月、イギリスでもっとも歴史の古いチェルトナム文学祭に参加した。折しもブッカー賞の最終候補作を著者とともに紹介するイベントが行なわれていた。
     ◇
 そこには、デビュー作『舞踏会へ向かう三人の農夫』(柴田元幸訳、河出文庫)以来、該博な理系知と人文知に支えられた人間味あふれるスケールの大きな小説を発表し続けているリチャード・パワーズもいた。
 2006年にパワーズが来日した際、翻訳者の柴田元幸氏の紹介で僕は彼に会った。それもあって、文学祭の控え室で話しかけようとすると、イベント前なのでと、随行の編集者にやんわり阻止された(そりゃ当然ですよね)。
 ところがイベント終了後、急いで他の予定に移動しなければならないのに、パワーズは僕を目にとめると、わざわざ声をかけにそばにやって来た。僕のことなど気にかける必要はないのに。他者の存在をないがしろにできないパワーズの優しい人間性に触れて、幸福な気持ちに満たされた。
 パワーズの作品はブッカー賞の受賞こそは逃がしたが、その後、アメリカ最高の文学賞であるピュリッツアー賞を受賞した。日本では今秋『オーバーストーリー』(仮題、木原善彦訳、新潮社)として刊行されるそうだ。待ち遠しい。
 このようにブッカー賞やピュリッツアー賞ともなると、受賞作以外の最終候補作も素晴らしい作品であることが多い。
     
 英米のこれら二つの文学賞の質の高さは、おそらく公正さと多様性を軸とする審査システムとは無関係ではないだろう。
 日本では文学賞の多くが出版社によって主催されるが、両賞の場合、出版社から独立した組織が主催する。
 そして審査員が毎年入れ替わることで、審査の多様性が担保されていることも重要だ。もちろんそこには、審査員職が既得権益になることを防ぐ意味合いもあるだろう。
 また、審査員が作家だけで構成される場合が多い日本と違い、両賞の場合は、作家に加えて必ず編集者や批評家や学者(文学研究者に限らない)も審査に加わる点も見逃せない。
 毎回、まったく異なる視点や文学観がぶつかり合い混じり合うからこそ、選ばれる作品が面白くなる。
 2019年度のブッカー賞の審査員が発表されて驚いた。知人の作家で映画監督グオ・シャオルー(郭小櫓)の名前もあったからだ。
 中国南部の漁村出身で、北京電影学院では、9月に日本でも新作「帰れない二人」が公開されるジャ・ジャンクー監督とともに学び、20代で渡英したシャオルーは、以来〈母語ではない英語で〉小説を発表し続けている。2年前に刊行した自伝エッセイは全米批評家協会賞を受賞している。ブロークン・イングリッシュだと言いながら、マシンガンのように喋(しゃべ)るパワフルな女性だ。
 そのような作家を審査員として迎え入れるブッカー賞の懐の深さ。10月の結果発表が楽しみ。=朝日新聞2019年6月26日掲載