1. HOME
  2. コラム
  3. となりの乗客
  4. うちの水道の水 津村記久子

うちの水道の水 津村記久子

 家の水を外に持って出るようになって二年以上が経過した。市販のお茶などのペットボトルに自宅の水道の水を詰めて持ち出し、喉(のど)が渇いたらそのへんで何食わぬ顔で飲んでいる。「え、あの人お茶のペットボトルに水入れて飲んでる」と気付かれても、べつにその人はその場だけの人なので、どう思われてもどうでもいい。その人が家に帰って「お茶のペットボトルに水を入れて飲んでる人を見かけたんだけど」と誰かに話したとしても、その人はその程度のことしか人生で気にしなくて済んでいるということでめでたいことなんじゃないかと思う。

 どういうきっかけで自宅の水道水の持ち出しに踏み切ったのかはよく覚えていないのだが、おそらく自動販売機で水を買おうとして、五千円札と価格より少ない小銭しか持っていなかった、というようなことがあってやけを起こしたのだと思う。なんだよ! もういいよこれから家の水持ってくようにするよ! 飲めたらいいんだよ!

 この「家の水そのまま持って行く」は意外と便利だった。喉が渇いた時に水が飲めるのはもちろん、ペットボトル一本分の500mlもいらない日だと思ったら、半分しか水を詰めないという判断もできるし、明日の分のお茶作らないと……、と前日に用意することもない。

 そもそも出先で喉が渇いている時に欲しいものは「良い水」ではなく「水」で充分(じゅうぶん)だということに気付いた。一応浄水器を通しはするのだが、本当に喉が渇いている場合はそれすらも問わないような気がする。とはいえ、少し長い時間の移動になるとやっぱりタンニンが欲しいとお茶のペットボトルを買ったりもするけれども、かなり回数は減った。

 昔は水道の水とポットのお湯を混ぜてコップに汲(く)んで「お湯水(ゆみず)ジュース」という名称を付けて飲んでいたし(混ぜたらなんでもジュースだという発想)、好きな食べ物の第五位ぐらいは自宅の氷だ。その原料であると考えると今日も水がおいしい。=朝日新聞2019年7月31日掲載