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「刑罰」書評 裏目に出る裁判の不条理ドラマ

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2019年08月24日
刑罰 著者:フェルディナント・フォン・シーラッハ 出版社:東京創元社 ジャンル:小説

ISBN: 9784488010904
発売⽇: 2019/06/12
サイズ: 20cm/213p

刑罰 [著]フェルディナント・フォン・シーラッハ

 刑事手続きは、単なる法律と規則の「団塊」ではなく、関与者の現実的な人間行動の集積である、とは裁判員制度の名付け親・松尾浩也の名言である。そうした人間臭いドラマの舞台に自らも関与者の一人として立ちつつ、弁護士フォン・シーラッハは「孤独感と疎外感、そして自分自身に愕然」とする被告人に寄り添い続けてきた。その経験に基づく迫真性を湛えた12の掌編が、本作では画廊のように配置されている。
 親と子、夫と妻、友と友、あるいは人と物。そのいずれかが迎える「非業の死」。残された者も「正しい側」から外れてゆく。その「様相」「におい」「空虚感」の生々しさ。犯罪と責任の所在をめぐる葛藤。しかし、国家の刑罰権は、対立構造と適正手続きに基づく裁判所の裁定なしには、発動されない。
 そこでは、国家的公益と被告人の人権の、それぞれの「側」を代弁する検察官と弁護士が対峙する。裁定者である裁判所の内部においても、職業官僚たる裁判官と、市民から抽出された「参審員」とが、中立や公正をめぐり対抗する。彼らもまた、「欠陥」や「不安」や「孤独」を口にする生身の人間として、新たなドラマをうむ。
 しかも、本作の場合、国家の刑罰が問題の解決にならず、裁判所の判断がむしろ裏目(ファルシェザイテ)に出る。適正手続きが、罰せられるべき人間を罰するのを阻み、法的安定性の要請は、個別事案における正義を犠牲にする。そこに発生する不条理が、刑事事件専門の弁護士を作家へと変えたのだ。
 けれども、あくまで作家は、件(くだん)のテロ事件の折、シャルリー・エブド紙に対し「ふざけるな」と嫌悪感をあらわにしつつも、その表現の自由を敢然と擁護した法律家であることを忘れてはならない。「わたしたちが自らに与えたきまりをないがしろにするとき、わたしたちは敗北する」と。
 かかる精神のリズムや振れ幅を、時に大胆な意訳を交えて移植した酒寄進一の訳業は、特筆に値しよう。
    ◇
 Ferdinand von Schirach 1964年、ドイツ生まれ。作家、弁護士。著書に『犯罪』『罪悪』、戯曲に『テロ』など。