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歌人・高田ほのかの短歌で味わう少女マンガ 神尾葉子「花のち晴れ~花男 Next Season~」

投稿というシグナル

今回取り上げるのは、累計発行部数6100万部、神尾葉子先生の伝説のラブコメ『花より男子』の続編、『花のち晴れ~花男 Next Season~』通称 「花晴れ」だ。
「花晴れ」には、“これぞ王道のマンガ的展開!”という誤解やすれ違いが実に多い。
普通なら、またこのパターンか…と読むのをやめてしまいそうなところだが、先生のマンガは、むしろ逆だ。
読者は、(これはフィクションだ)と認識しつつ、“神尾ワールド”のきらきらした底なし沼へハマっていく。
なぜこんなに素直にハマってしまうのか。

それは、高度な構成力をベースに、キャラクターの個性を最大限に生かしているからに他ならない。
私はよく短歌教室の生徒さんたちに、「お面のような表情のみえない短歌ではなく、たとえば睫毛の長さやシワまで思い浮かんでくるような、一人の人物像がみえてくる短歌を目指しましょう」と言っているのだが、「花晴れ」はまさに短歌のお手本のようなマンガだと思う。キャラ一人ひとりの魅力が凄まじいのだ。
連載100回目前記念にキャラクターの人気投票が開催されたことからもよく分かる。

たとえば、コレクト5(通称C5…5人全員が英徳学園高等部の生徒で、彼らだけが着る事を許されているブラックジャケットを身につけている。 「英徳学園に 庶民はいらない」をモットーに、寄付金を払えなかったり授業料を滞納したりしている生徒を選別し、退学に追い込んでいる。)の紅一点、愛莉は当初主人公である音にしつこいまでの嫌がらせをするが、音のまっすぐ自分に向き合ってくれる姿勢に心を救われる。
その場面がこちら。

「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」3巻から ©神尾葉子/集英社

掛けられたブレザーと雨のぬくもりが脳に貼りつく呪いを流す

執拗な嫌がらせは、ひねくれた彼女が発する精一杯の“助けて”のシグナルだった。

美少女の愛莉がどのような過去を経て破綻した性格になったのか。その背景がきちんと描かれており、読者は愛莉に同情し、共感しながら気つけば彼女の味方になってしまっている。私自身、音をいじめる立場だった彼女が負けん気の強さはそのまま、憎めないツンデレキャラへと変わっていく様がたまらなかった。
その証拠に人気投票では音を抑え、堂々の第3位に選ばれている。

先生のSNSなどで、“重病で長い間入院生活を送っている。先生のマンガだけが唯一の生きる楽しみ。だからこれからもずっと描き続けてください”といった声を幾度も見かけた。神尾先生のマンガは過去の後悔も未来の不安も忘れ、“神尾ワールド”を安心して楽しむことができる。先生は神尾作品を愛する多くの読者を30年ものあいだ救い続けているのだ。

王道を真正面から描き、読者を長く惹きつけるのは最も難しいことだろう。
それは正統派レスラーがかけるプロレス技のよう。
「花晴れ」と対峙する読者は時間をかけてスタミナを少しずつ奪われていき、気づかぬうちに頭を抱え込まれ(いつの間にかページがどんどん進んでいる)、あっという間に両手を締めつけられ(夢中になる)、見事なヘッドロックを決められている。(「花晴れ」ファンになっている。)
先生は描く絵もシンプルで美しい。そのなかでも特にカラーイラストはパッキリとした配色で塗り分けられている。その視覚的な分かりやすい美も、正統派の技を磨き続ける先生のこだわりのひとつだろう。

先生は、いつもこう考えながら描いているという。(以下ご本人のInstagramより引用)

ひとりよがりになっていないか。
読んでいる人を置いてきぼりにしていないか。
でも、一番自分自身が楽しんで描かないと伝わらない。
物語をつくることは、本当に難しいバランスの元にあると、いつも思います。
何年続けていても正解はなくて迷ってばかりいます。

そのひたむきな、“迷い続ける”という信念が、今日もペン先からキャラクターたちを生き生きと立ち上げている。

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Facebookに投稿した記事にいただく「いいね!」一覧を見られないことがある。見ない、のではなく見られないのだ。
それは、わたしが極度の怖がりだから。心が元気なときはたまにスマホ画面をスクロールして(わぁ、この人が「いいね!」してくれてる)と嬉しくなれるのだが、心が弱っているときは「いいね!」してくれている人よりも、してくれていない人のほうに気持ちをもっていかれ、ショックを受けるからだ。
自分的には結構仲がいいと思っている人から何回か続けて「いいね!」がないことに気づくと突如として不安に襲われ、血眼になってその人のアイコンを探して「いいね!」一覧を何度も上下にスクロールする。
ない。やっぱりないよ。
それから理由を探し始める…あのときのあの言い方が気に障ったのかな、ああ…そんなつもりで言ったんじゃないのに…でもそう捉えられても仕方がない言い方だったかも…今からメッセージで謝ろうか!でも今さらあの節は申し訳ございませんとか言ったら余計怪しいか…と頭はそのことでいっぱいになる。
逆に、ひとりの人が一気に10本くらい「いいね!」をしてくれると怖くなる。わざわざスクロールして、投稿一本一本にその人差し指で「いいね!」とか「超いいね!」とか「うけるね」とか「すごいね」とか押してくれたのだ。
そう考えると、「いいね!」が(あなたをお慕いしていますよ)、というシグナルのように思えてくる。いや、実際そうだろう。どんなにいい投稿?をしても気のない人からは「いいね!」がつかないし、どんなつまらない投稿でもファンのように思ってくれている人はシェアまでしてくれる。

音もなく放ったちいさなシグナルに、あなたは気づいてくれるだろうか。