「手羽先は手掴(づか)み。これが流儀」「はあ」言われるまま、唐揚げを手に取った。特に肉厚なところから攻めてみることにした。口に運ぶ。かり、と香ばしい歯触り。更に噛むと柔らかい肉の食感と共に肉汁が迸(ほとばし)り出る。うわ、と龍は眼を見開いた。なんだこれ、すごく美味しい。(中略) 揚げたてなので持っていると火傷(やけど)しそうに熱い。でも手放すことはできなかった。骨の間にある肉を歯と舌で攻めたて、味わい尽くした。(『名古屋駅西 喫茶ユトリロ』より)
さぁ、やってまいりました「食いしんぼん~ご当地味巡り編~」! 今回はローカルグルメが豊富な、愛知県名古屋市が舞台の作品です。
東京生まれの龍(とおる)は、喫茶店「ユトリロ」を経営する祖父母の家に下宿しながら、名古屋大学の医学部に通っています。毎日常連客でにぎわう「ユトリロ」に、毎度持ちかけられるちょっとした事件に巻き込まれていきます。
名古屋市を中心に展開するチェーン店「スガキヤ」のラーメンに味噌おでんなど、名古屋名物をめぐるライトミステリーです。著者の太田忠司さんに、地元「名古屋めし」についてお話を伺いました。
編集さんが食べることが好きだった
——「名古屋めし」を作中に取り入れたきっかけを教えてください。
名古屋の書店員さんたちが始めた「本に関係する人たち」が集まる「NSK(名古屋書店員懇親会)」という懇親会があるんです。以前、そこに参加した時、たまたま隣の席になった編集者の方と食べ物の話で盛り上がり、以前から腹案があった「名古屋の喫茶店を舞台にした小説」について話したところ「是非書きましょう」と勧められ、本作を書くことになりました。その編集さんが食べることが好きな人で「書くなら名古屋の美味しいものをたくさん出してください」とリクエストされ、それじゃあということで思いきり注ぎ込んでみました。
——作品の舞台でもある「喫茶ユトリロ」のモデルになったお店はどこかありますか?
本作のタイトルどおり、名古屋駅西にある「喫茶すず」という店をモデルにしました。昔ながらの典型的な名古屋の喫茶店で、地元の人たちに利用されているお店です。コーヒーの味も好みですが、イタリアンスパゲティ(ナポリタン)に、カレー味のインディアンスパゲティ、それからエッグトーストなど、ご主人の作るメニューも美味しくて時々通っていました。ただ残念なことに、先年そのご主人が亡くなってしまい、今は奥様が午前中だけ営業されています。あと、喫茶店ではないのですが、大きなエビフライで有名だった「ひょうたん屋」も今では閉店してしまいました。どちらももう食べられない味かと思うと寂しいですね。
——まだあまり世に知られていない、おすすめの「名古屋めし」がありましたら、ぜひ教えてください。
お好み焼きというと「大阪風」と「広島風」が有名ですが、じつは「名古屋風」もあるんです。作り方は、広島風と同じく具材を混ぜずに重ねて焼いていくものですが、ユニークなのは焼き上がった後です。二つ折りにしてアルミホイルと包装紙で包み、それを手に持って食べるんです。子供の頃はそれを買ってもらい、歩きながら食べてました。昔からある、本当に庶民的な食べ物なので、いつか名古屋風お好み焼きについても書きたいと思っています。他には、名古屋や周辺で食べられているお菓子についても書きたいですね。「なごやん」や「納屋橋饅頭(なやばしまんじゅう)」に「大あんまき」とか。
——おおっ! さすが「名古屋めし」の一つ「小倉トースト」を愛する名古屋人だけに、あんこものばっかりですね(笑)。太田さんは名古屋のご出身で現在もお住まいとのことですが、他県との食文化や食生活の違いなどを感じたことはありますか?
味噌おでんや味噌煮込みなどは子供の頃から普通に馴染んでいた食べ物だったので、それが名古屋独自のものだとは長い間知りませんでした。多分それは名古屋だけではなく、それぞれの地域で独自の食文化が育まれているのだと思います。ただ名古屋だけがちょっと特殊なので、全国的に注目されたのではないのでしょうか。
——「天むす」に「あんかけスパゲティ」など、今ではすっかり全国的にも有名になった「名古屋めし」ですが、なぜこんなにも名古屋にはローカルグルメが多いのでしょう? 太田さんの見解をお聞かせください。
これは私見ですが、八丁味噌(豆味噌)と、それを製造する過程で生まれる「たまり醤油」という旨味の強い調味料が存在していたことが大きいと思います。この甘辛い味が大体のメニューのベースとなっているので、他の食べ物もユニークにならざるを得なかったのではないかと考えます。
——東京からやってきた龍が最初に食べた「名古屋めし」が、手羽先唐揚げです。ユトリロのお客さんに「名古屋におって手羽先食っとらんなんていかんがや」と言われるほど手羽先唐揚げは「名古屋人のソウルフード」のようですが、そもそもなぜ「手羽先」なのでしょうか?
なぜ「手羽先」なのか、という疑問に対しては、手羽先唐揚げの元祖である「風来坊(ふうらいぼう)」のサイトに詳しく書かれています。当時、使い道がなくて売れ残っていた手羽先を、安く仕入れて唐揚げにして店で出したところ、これが意外に美味しく、また値段も安かったのでヒットメニューとなったわけです。以後、色々な居酒屋で手羽先唐揚げは定番メニューとなり、普及していきました。そういう出自ですから、けっして地元の人たちにとっては「ハレ」の食べ物ではありません。ビールの最高のお伴という位置づけが一番似合うでしょうね。
——「お店ごとに手羽先の味が違う」と作中にも書いてあったので、ぜひ食べ比べしてみたいです! ところで、地元の人たちは手羽先の骨に少しの肉片を残さず、キレイに食べられるようですが、そのコツはどうやって習得するのでしょうか?
僕が手羽先をよく食べるようになったのは、大人になってビールが飲めるようになり、居酒屋に通うようになってからです。手羽先をきれいに食べるコツは、食べ続けていれば習得できますよ(笑)。あとは、手羽先を出すお店に行くと、キレイに食べるためのコツをわかりやすく説明したものが用意されています。手羽先の元祖と言われる『風来坊』のサイトには上手な食べ方が動画で紹介されているので、参考にしてみてください。