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「長寿と画家」書評 ヨレヨレになりながら限界まで

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2019年10月05日
長寿と画家 巨匠たちが晩年に描いたものとは? 著者:河原 啓子 出版社:フィルムアート社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784845918171
発売⽇: 2019/06/26
サイズ: 19cm/211,11p

長寿と画家 巨匠たちが晩年に描いたものとは? [著]河原啓子

 巨匠だから長寿なのか、長寿だから巨匠なのか。画家は他の職種の人に比べると長寿者が多い。本書はそんな画家の長寿の秘密を解明するのが目的ではない。15人の国内外の画家の晩年に焦点を当てる。創造と生活の間で肉体の衰えを実感しながら、肉体の限界と精神の無限にヨレヨレになりながら、命の崩落寸前までその創造の可能性を探究する気力。画家のカルマの総仕上げの事業を成就する生命エネルギーに思わず一画家として煽り立てられる思いである。
 ゴヤは聴覚を、そして、ドガは視力をほぼ失い、モネは白内障で失明の不安に苛(さいな)まれながら、ルノワールはリウマチの痛みと闘い苦しみながらの制作。ムンクは生涯心身の不調に苦しむ。しかし、画家を襲う終末時計の刻む音を聴きながらでも、地獄の底にもベアトリーチェの待つ天国への希望の光が差している。結局創造の歓喜はやるせない老年期の後に「すべては自分自身に返ってくる」(ピカソ)。絵筆を握ることもままならない苦渋のさ中でルノワールは「芸術は人々の真実の歴史だ。人生と理想を見出させてくれる」と語る。
 北斎は長寿願望が強く、68歳で脳卒中で倒れ、79歳で火災に遭いながら神仏を求め続けて苦難を祓いながら、平均寿命の短い江戸時代に数えで90歳までの生涯を全う。尚かつ、「天があと10年……、いや5年、私を生かしてくれたなら、本物の絵師になれるのに!」と。
 このような北斎の創作への貪欲は一般の欲望とか煩悩の類とは違う。創造とはある意味で神との一体化、自らが宇宙的存在と同一化するケタはずれの大欲である。このような自己を全うすることは肉体と魂の一体化によって、宇宙エネルギーが画家に創造(生命)の霊力を与えるのである。ここには一切ストレスは介在しない。目的を持たない幼児の時間に生きることができるまれに見る天才達の長寿の秘密がここにある。
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 かわはら・けいこ 青山学院大・立教大兼任講師。アートジャーナリスト。『「空想美術館」を超えて』など。