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「キン肉マン 友情の40周年展」ゆでたまごインタビュー 小学生のころから培った〝友情パワー〟

左:中井義則さん 右:嶋田隆司さん 文:東原雄亮 写真:坂下丈太郎

 『キン肉マン 友情の40周年展』あべのハルカス近鉄本店会場を訪れた、嶋田隆司さんと中井義則さん。悪魔将軍が見下ろす会場ゲートを潜り、まずは名シーンの原画を集めた展示場へ。最近はなかなか生原稿を見る機会がないという嶋田さんは、「中井くんが一所懸命描いている姿を思い浮かべて感動しました。生原稿はやっぱり楽しいな」と見入っている様子。中井さんも「生原稿は作者の呼吸というか体温というか、デジタルにはないものが感じられるはず。そこからぼくたちゆでたまごの思いを汲み取ってもらえるんじゃないかな」と感想を述べ、真剣な眼差しで自身の軌跡を辿っていきました。

 懐かしの“キン消し“やリアルフィギュア、ロビンマスクのマスクなどの展示コーナーを抜けると、再現されたキン肉ハウスの展示に到着。本来は立ち入り禁止ですが、記念撮影も兼ねて上がることに。こたつを挟んで向かい合うと、「東京に出てきた頃の下宿よりは広いなあ」と昔を振り返る二人。

 すぐ隣には超人たちの等身大フィギュアをバックに記念撮影ができる特設リングフォトスポットがあり、ここでも記念撮影。「神聖なリングなので」と靴を脱ぎリング中央へ。筋肉隆々のキン肉マン、テリーマン、ロビンマスク、ウォーズマンに囲まれガッツポーズ。最後は来場者が残したメッセージコーナーに立ち寄り、ボードにキン肉マンのイラストとサインを描いて会場を後にしました。

楽しい時は2倍楽しめる、苦しい時は半分で済む

 会場を巡った後は、「友情の40周年」にちなんで二人の友情について話を聞きました。

――『キン肉マン』は作品内で描かれる超人たちの友情、超人案を募集するなど密接な関係であるファンとの友情、様々な形で友情がキーワードになっています。となると、作者である二人の友情の形も気になります。

中井義則さん(以下 中井):それは長年連れ添った夫婦に、パートナーに対してどう思うかと質問するのに似てるものがあると思います(笑)。確実に言えるのは、相棒がいなかったらここまでできていないし、たとえ漫画家になっていても数年で終わっていたかもしれない。嶋田くんは小学生のときから漫画に詳しくて、知識もあり、いろんな漫画を読み込んでいました。彼に作品ごとの良さとか、いろんなことを教えてもらい、話し合いながら成長させてもらいました。振り返るとたくさんのことがあっての40周年ですけど、本当に感謝しかありません。

嶋田隆司さん(以下 嶋田):ぼくも中井くんと同じ考えで、二人いたから今までできたと本当に思います。二人いれば一人が行き詰まったときでも話し合うことができるし、打ち合わせ以外にも担当編集の悪口をゲラゲラ笑いながら話せますし(笑)。「ふたりというものはいいものだ。楽しい時は2倍楽しめる。そして苦しい時は半分で済む」というブロッケンJrのセリフにもある通り、その感じでやってきました。小学校からの友達ですから、出会ってからは50年。打算で付き合ってるんじゃなくて、本当に友達として付き合ってきたのがよかったなと思います。
 キン肉マンの性格ってドジで間抜けで、人に迷惑をかけるじゃないですか。それでも人格者で、ロビン、ウォーズマン、ブロッケンなど、みんな友達。ぼくは昔から友達っていいものだって思っていて、その思いを自分たちの作品に落とし込んできて、気がついたら中井くんと小学校時代から50年もやってこれました。これこそが一番の友情パワーだと思います。

中井:原作を読んで、今相棒はこういうことを考えてるんだなって感じることもあります。原作をもらって絵にして、外に出ていったものが二人の関係の全て。どんどん大きく、いい形になっていっているなと感じています。

――連載を始めた頃はどういった関係性でしたか?

中井:相棒が仕事の打ち合わせでぼくの仕事場に来ても、すぐ帰らないんですよ。必ず朝までいろんな馬鹿話しながら、こっちは朝まで仕事。手を動かしながら大笑いしていました。

嶋田:東京に知り合いがいなかったから、中井くんの仕事場に入り浸ってました。原稿制作の邪魔だったでしょうけど。

中井:いやいや、こっちは眠気覚ましになったよ(笑)。ぼくも同じで知り合いもいないし、友達だってまずいないですからね。当時なんて大阪弁はポピュラーじゃないですから。担当編集やまわりの人から標準語で話せって言われるんです。テレビでもまだ吉本の番組も見れない時代で、コンプレックスを感じた時期がありました。そんななか相棒が一年遅れで東京に出て来てくれて、対等に、同じ感性でいろんな話でがきるのが楽しかったんです。

――その仕事のスタイルも今は変化してきていると思いますが

嶋田:相棒が結婚してから、そのスタイルはできなくなりました。ぼくも東京に友達ができ始めましたし。そのあたりから仕事のしかたも変わってきましたね。当時ぼくの原稿があまりにもおそかったので、とにかく編集者が怒るんです。もちろん中井くんを待たせるのも悪いし、ということでFAXで原作原稿を送るようになりました。多分漫画界で初めてFAXを導入したのはゆでたまごだと思います。そんな忙しい中でも、中井くんとはハワイに旅行に行ったり、いろんなことやってたなあ。週刊少年ジャンプで『キン肉マン』を連載しながら、フレッシュジャンプで『闘将!!拉麺男』を連載してた時期もあったし。

中井:年に2回ぐらいは海外旅行に行ってましたね。今から考えると、よくそんなことができたと思います。
 お互い家庭もあるし、歳もとりました。それぞれ違う趣味がありますし、価値観も異なってきました。それでもいざ漫画の話になると、昔の二人に戻る瞬間ってあるんです。

嶋田:(深く頷く)

中井:楽しく話してたあのときと同じだなって。そんなときは何とも言えない気持ちになります。二人で40年間を積み上げてきてよかったなって。

――40年の積み重ねがあるからこそ、その瞬間の重みや輝きが際立ちますね

中井:いろんな漫画の話をするときの相棒の顔や語り口は昔のままなんですよ。笑いの趣味もまったく同じ、変わってないです

嶋田:毎週金曜の夜中に打ち合わせをするんですけど、それはだいたい半分くらいで、あとは学生の頃にあんなやついたな、こんなやついたなって、ゲラゲラ笑ってます。

――ここまでの話を聞いたうえで「これからどう変化しますか?」と聞くのは愚問ですね。二人の友情はずっと変わらないと思います。

嶋田:ぼくらが友情作品を書くから読者も納得できる。出会ってから50年の力が、その説得力を生むんじゃないでしょうか。だから解散はできないですね(笑)