宝物審査
本棚を整理しながら、時折
ああ…これは宝物だ
と感じる作品がある。
今回は、片岡吉乃先生の『クール・ガイ』だった。
愛するあまたの少女マンガのなか、なぜ『クール・ガイ』を宝物だと感じたのか。
1995年発行の単行本1巻を両手でもち、じっと見つめながら考える。
・・・宝物になるには歳月が必要なのかもしれない
読み返し、「やっぱり素晴らしい!!」と本棚に戻す。
何年か経ち、忘れかけたころまた読み返し、「やっぱり素晴らしい!!」
これを繰り返すなかで、いつしかそのマンガが宝物になっていることに気づくのだ。
片岡作品には、その大胆かつ繊細なコマ割り、登場人物の掛け合いのリズム、一級センスのギャグ、何気ないセリフ・・・ひとつひとつに光が宿っている。
最新作『煩悩クラス』が発売されたのは16年前だが、(マンガは16年前から描いてらっしゃらない)先生は根強いファンを持ち続ける稀有な漫画家だ。
試しに、Amazonのサイトで『クール・ガイ』と検索してみるとカスタマーレビューを書いた5人全員が☆5つをつけていた。
Amazon.comの日本版サイト「Amazon.co.jp」がオープンしたのが2000年だから、その何年も前から『クール・ガイ』を愛する人たちが、どうしてもその素晴らしさを語りたい!と改めてレビューを書いたことが伝わってくる。
熱い。
みんなの熱量に目頭が熱くなる。
うるうる。
レビューを読んだだけでこいつはまたおおげさなんだよ、と思われるかもしれないが、
片岡吉乃を知る人は、いまスマホ画面のまえで強く頷いてくれていると信じる。
たとえば、『クール・ガイ』が、『蝶々のキス』が、『真剣ゼミ』が好きで、と言った次の瞬間、二人は友達だ。
『クール・ガイ』の主人公である順は、自身が習っているお花の展示会に最近気になる氷室を誘う。
(高校生で、しかも部活じゃなくて、お花を習ってるというところがリアルでグッとくる。)
生け花の展示会場。
順の生けた、ポインセチアを後ろからかすみ草が包むような生け花をみる順と氷室。
タイトルは「冬」
氷室:あくびをする
順:「どう…かな?」
氷室:「どうって――― おれに花 わかんねえよ」
順:「あ ね いこっか」
氷室:「これ 冬って なんで?」
順:「…………ああ えーと …… …冬って外はまっ白じゃない 小さい時それがさみしーとか思ってうちにあった造花1つさしてね 1人でよろこんでたりして
奇妙な光景 雪に花だもん 不自然 でもキレイだった だから白と赤だけ使いたかったの
そーゆーのをちょこーっとでも 表現できたらなー… と…
…愛情… こめたの…
一応 自分ではね」
氷室:無表情で「ふ――ん」
氷室は無表情で順の生け花をじっと見続ける。
時間が4時20分、4時30分と経っていき、順は氷室の横顔を見たり、時計をチラ見したり落ち着かない。
時計の針が4時35分を指したとき、氷室がもう一度
「ふうん」
と言った。
今度は少しだけ微笑んで。
これほどまでに純粋性に満ちた4ページを私は知らない。
15分かけて発せられた「ふうん」の三文字のなかには、いつも表情の読めない氷室の、やさしさ、強さ、嘘のない心そのものがあふれている。
この「ふうん」は、短歌だ。
歌人というのは、言葉では言い表すことのできない想いを読者に手渡したいと願い、言葉を紡いでいる生き物だと思う。
毎日短歌を詠んでいて、1年に一首くらい奇跡的に31音からあふれる物語が詠めることがある。
たとえば、こんな歌。
がむしゃらにペダルを漕いだ真夜中に吐息がつくる真白なリボン 高田ほのか
一般的に、短歌は散文より読み解くのに時間がかかるといわれる。と同時に、一読した瞬間、凝縮された感情が胸に迫る。
この15分の間(ま)には100文字分、それ以上の、言葉にならない彼自身があふれている。そして「ふうん」の三文字を読んだ瞬間 読者はそのすべてを感じとり、順とおなじ強さで泣いてしまう。
これは、天性の才を与えられた者にしか作り出せない間(ま)だ。
はじめて読んだ中学生のころから繰り返し読み、30歳を過ぎてまた同じ場面で泣く…
それは私の精神年齢が中学生のころから変わっていない、ということではないと思う。
事実、別のマンガでは昔あれほどドキドキしたページを冷静にめくる自分に軽くショックを受けたりしていた。
私もあれやこれやと社会に揉まれ、あんなに好きだった作品に「こんな展開ありえへんやろ」とツッコミを入れてしまう悲しい大人になっていたのだ。
ところがどうだろう。
クールガイに関しては、むしろ私のピュアなものに対する感度は高まったように感じる。
宝物と呼ぶに至るまでには、自分でも気づかない遥かな審査があるようだ。
沈黙が水をふくめば15分かけて小さなやさしさが咲く