人生相談にはまっている。
ラジオ番組とウェブサイトに好きな人生相談がいくつかあって、あまりにおもしろいので、他の人生相談もあれこれ読んでいる。
以前は、相談者も回答者もずっと年上が多く、内容に実感が湧かないし回答にも教え諭されている感覚があった。それがだんだん悩みも想像できるようになり、同世代の回答者を何人か知って、がぜん、興味が湧いてきた。
相談は、笑える失敗談から深刻な人間関係まで幅広い。実は、相談者の質問自体より、その相談の言葉のあちこちに本質があることを、回答者が解きほぐしていく過程こそがスリリングだ。
子供のことを相談しながら、自分が責められているというつらさばかりで肝心の子供の気持ちはひと言も書かれていなかったり、恋愛相談に結婚や異性に関する思い込みや抑圧がにじみ出ていたり。そこから、まず向き合うべきことが見えてくる。
他人事(ひとごと)として聞いている限り、それはあかんわ、とか、あんたは悪くないで、とか、よくわかる。でも、これが自分のことだったら、相談者以上にぐだぐだ悩んでいるかもしれない。問題の渦中にいるときは、周りの状況なんて全然見えなくなる。相談者自身も、回答で指摘されたことがうすうすわかりつつ、認めたくないだけのこともあると思う。
赤の他人だからこそ、答えられるとも言える。友人や家族だと、かえってストレートなことは言いづらかったり、事情がわかりすぎていてこっちも悩んでしまったりする。
それにしても、回答者がこんなにも人の話を聞けるのはすごい。仕事ではあるけれど、頭ごなしに怒ったり馬鹿にしたりせず、状況を丹念に想像し、伝える言葉を選び、厳しいことを言いつつ少しでも前向きな提案をする。明快な解決策がない問題だから、一緒に考えてくれる時間に励まされる。相談を送る人は、なにより「聞いてほしい」のだと思う。=朝日新聞2019年11月13日掲載