かれこれ30年前の1月。筆者は大西洋のアフリカ沖で出稼ぎ中の日本人漁師を取材するため、アフリカのセネガル共和国にいた。順調な取材で時間に余裕ができたので、通訳の国連職員パウラに聞いた。
「この先何かないかな」
ニューヨーク出身のパウラは、英語とフランス語、現地語を達者に使いこなす、タフな女性だ。
「サハラ砂漠の南端を走る、急行列車に乗りましょう。わたしも行きます」
小柄な体躯(たいく)を砂まみれにして通訳してくれた、パウラの提案だ。翌朝早くダカール駅から、マリ共和国の首都バマコに行く急行の寝台車に乗った。
6時間ほどで、国境の山岳地帯にある駅で停車した。窓の外に多くの人がいた。外で筆者を見ていた男が言った。
「カヤキ1杯米ドルで2ドル」
パウラが通訳して筆者の顔を見た。
「早くカヤキを買ってやって」
「カヤキって何なのですか」
筆者はそう言いながら、1ドル札を2枚つまみ出して、パウラに渡した。
ひとりの女性が叫んだ。
「なんだって?」
問いかける筆者にパウラが答えた。「自分たちのカヤキを、早く食べて欲しい、と」
パウラがそう言って手にしているバケツを、1ドル札2枚とともに外の女性に渡した。女性が足元の一升瓶から、バケツに水を注いだ。
やがてそのバケツに野菜と数匹の魚が入れられ、パウラの手に戻された。
「これで今夜、美味(おい)しいカヤキ鍋が食べられる」
パウラが嬉(うれ)しそうに言った時、遠くで発車を告げる汽笛が鳴った。筆者が驚いて問いかけた。
「今なんて言った?」
「カヤキ鍋よ。あたしのボーイフレンドが日本人漁船員と仲良くて、その漁船員が作ってくれたのがカヤキ鍋。あまりに美味しかったから、真似(まね)して時々作ってるの」
そして記憶をたぐるように言った。
「その漁船員は、日本のアキタという所から来てたの。彼が言ったわ。カヤキ鍋は秋田の鍋料理で、漢字では貝焼鍋と書く、自慢の料理だって」
そしてパウラは宣言口調で言った。
「この駅では約2時間余り停車する。この間にカヤキを作るから手伝って」
筆者は呆(あき)れて、
「列車最後部のデッキとはいえ、ここで炊事などしていいのかな」
「停車中だから問題ないわ」
そしてパウラは、実際に1時間足らずの間に、筆者の郷里秋田が誇る貝焼鍋を作ってくれたのだった。
サハラの砂混じりでも美味だった、ふるさと料理貝焼鍋の味を、今でも懐かしく思い出す。=朝日新聞2019年12月7日掲載