西崎文子(東京大学教授)
①帰還 父と息子を分かつ国(ヒシャーム・マタール著、金原瑞人、野沢佳織訳、人文書院・3520円)
② 「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録(トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、集英社新書・1012円)
③ ナガサキ 核戦争後の人生(スーザン・サザード著、宇治川康江訳、みすず書房・4180円)
今年書評した本の中では、カダフィ独裁下のリビアで行方不明となった父の行方を追う①が群を抜いていた。独裁政治がいかに人々の肉体と精神とをむしばむかを、ひりひりとした緊張感と叙情あふれる筆致で描く絶品だった。
②は、『青い眼がほしい』や『ビラヴド』、『パラダイス』などの作品で「人種」や「他者」性の問題に向き合い、8月に逝去した作家の講演録。モリスンの小説の魅力がその途方もない想像力・構想力にあることを教えてくれる。
④ は、5人の被爆者を通じて被爆後の壮絶な人生と彼らを取り巻く社会とを描く。フランシスコ教皇の来日で注目を浴びた「核兵器を拒否する思想」だが、その雄弁な語り手が被爆者であることを忘れてはならない。
長谷川逸子(建築家)
①迷うことについて(レベッカ・ソルニット著、東辻賢治郎訳、左右社・2640円)
②宮沢賢治 デクノボーの叡知(今福龍太著、新潮選書・1760円)
③公(こう)の時代(卯城竜太、松田修著、朝日出版社・1980円)
書評委員になって、読むことのなかった分野の本に出会えた。書評したものから共感を持った3点を選んだ。①はユダヤ系移民のルーツをもつソルニットが自らとアメリカの歴史を描いたものだ。閉塞感の漂う現代の都市に野生を孕(はら)む「荒野」を取り戻したい。②は文化人類学の知見を用いたユニークな賢治論で、人間中心の知の体系でつくられている現代社会への批判でもある。近代化の過程で排除されてきた自然と人間の豊かな交感や敬虔(けいけん)さをもたらす「デクノボーの叡知(えいち)」が今こそ必要だと感じられた。③「みんなのため」の論理が個を追い詰め不自由にしているという指摘は、芸術や教育の分野にとどまらず、政治を始め社会全般にも当てはまると痛感した。3点とも社会批判の本である。
長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長)
①科学立国の危機 失速する日本の研究力(豊田長康著、東洋経済新報社・2860円)
②かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた(ウラジーミル・アレクサンドロフ著、竹田円訳、白水社・4620円)
③「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている(ジェイムス・スーズマン著、佐々木知子訳、NHK出版・2860円)
①は日本の科学研究の力が落ちてきた原因は何なのか、膨大なデータ収集と的確な分析で明らかにした労作。政策立案者は、こういう研究の書を熟読すべし。
②は1872年にアメリカ南部で生まれた黒人、フレデリック・ブルース・トーマスが、アメリカを飛び出し、興行師として20世紀初頭のロシア、ヨーロッパ、そしてトルコで活躍する波瀾万丈の生涯の伝記。力と希望がもらえる。
③はナミビアに住む狩猟採集民の暮らしを長期にわたって調べた記録。彼らは、文明生活になじめず、馬鹿にされ、虐げられてきた。しかし、足るを知り、あくせくしない彼らの世界観にこそ、持続可能な人間存在の根源があるのではないか? 発想転換の文明批評である。
保阪正康(ノンフィクション作家)
①戦争と資本 統合された世界資本主義とグローバルな内戦(エリック・アリエズ、マウリツィオ・ラッツァラート著、杉村昌昭、信友建志訳、作品社・4180円)
②ロヒンギャ難民100万人の衝撃(中坪央暁著、めこん・4400円)
③妻の死 加賀乙彦自選短編小説集(加賀乙彦著、幻戯書房・3520円)
今年は近代日本の小説と、新視点の論集をよく読んだ。老いは青年期のように小説の登場人物に自分を仮託するのだろうか。
①はこれまでの定型化した政治用語、概念の再考を促し、新たな論理の解釈を試みた書である。総力戦とは、資本を再組織化させる戦争経済に社会を従属させることといい、福祉国家の誕生などを論じる。新鮮な視点が多い。②のロヒンギャ難民問題は「世界最大の人道危機」との視点の下で、よく知られていないロヒンギャの民族、国家、宗教などが実際の見聞に基づいて書かれている。私はこの問題を傍観する無責任さが問われている感がした。③は、著者の単行本未収録の短編を含む自選集である。自作の長編の思い出話に著者の素顔が見える。
本田由紀(東京大学教授)
①「少年」「少女」の誕生(今田絵里香著、ミネルヴァ書房・4400円)
②趣味の社会学 文化・階層・ジェンダー(片岡栄美著、青弓社・4400円)
③教育格差のかくれた背景 親のパーソナルネットワークと学歴志向(荒牧草平著、勁草書房・4180円)
私の専門分野である教育社会学から、タイミングなどの事情で書評に取り上げられなかった単著を選んだ。①は多数かつ長期にわたる雑誌を読み解き、「少年」「少女」の意味の変化を捉える。叙情を解する存在から少国民へ、そして戦後の「少女」は男子と恋愛する「かわいい」存在となった。そうした像を相対化する必要性を説いている。②はブルデューの理論に基づき、日本の男性の文化的雑食性と、高学歴女性における文化の世代間相続を、複数の調査データから丹念に描く。③は教育格差の一因として、親族や友人・知人など、親がどのような人間関係の網の中にあるかに着目した実証分析から新たな地平を開く。3冊いずれも資料・データと格闘することの醍醐味を体現した研究成果。