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千葉雅也さん初小説「デッドライン」インタビュー “自由の都”への憧憬こめた東京小説

文:篠原諄也 写真:北原千恵美

小説執筆は自分と言語との関わりの治療過程の一部

――初めて小説を書いたのはどういう経緯だったのでしょう?

 もともと「物語的なものはそのうち書いてみたい」と思っていました。以前から「小説を書いてみたらどうですか」と依頼もされていました。ただ自分にとってまったく新しいことをやるというより、これまでの哲学の仕事にも物語的な要素はあったと思うんですね。

 僕は哲学の仕事ではリクルートスーツを着たような論文が苦手で、ちょっと逸脱的な書き方をしてきたんですよ。論文なのにある種のドラマ的な展開があったり、結論で議論のまとめをするんじゃなくて開くような表現をしたりしてきた。すでにそこに小説的側面があったとも言えます。

 もっと直接的には、ラーメンについてのエッセイを書くなど、随筆、論考、批評、小説、何なのか分からないものも結構書いていた。ジャンル横断的に書き物をしてきて、今回は物語的な部分をクロース・アップしてみたらどうなるかと思って、結果として小説を書いたということですね。

――これまでの千葉さんの著作の流れの中において本作があるんですね。博士論文のドゥルーズ論を書籍化した『動きすぎてはいけない』(2013年)やギャル男からフランシス・ベーコンまで幅広く論じた批評集『意味がない無意味』(2018年)などと比較すると、今回はとてもシンプルな文章で書かれていると思いました。

 シンプルに書いてあるのはそうですね。ただシンプルな文章で小説を書きたかったというよりも、これまでの仕事の全体の流れの中で、文章がどんどんシンプルになっていてその最新形なんですね。『動きすぎてはいけない』や『意味がない無意味』の時期はかなり高密度な文章を書いていた。あれは若い時の集中力があったからこそ書けた文章でもある。相当労力がいるし、あのスタイルでずっとやるのはかなり辛かったんですよね。まああれは神経症の産物です。最近、文庫化にあたって多少直しを入れるために『勉強の哲学』(2017年)を読み返しているんですけど、あの本も神経質な書き方をしている。

 しかし、それを反省した『メイキング・オブ・勉強の哲学』(2018年)のあたりから、「書き方をもっと楽にしていこう」と考えたんですね。文体的な完成度に凄くこだわってしまうきらいがあったので、もっとラフで、ある意味完成度が低くてもいいかと思って。それでできたのが『アメリカ紀行』(2019年)なんです。もうノンシャラン(投げやり)なというか、放り投げるように書こうと思った。『デッドライン』もその流れの中にあって、同じように色々な出来事をただただ書く。あまり細部も煮詰めずに「まあこんなもんだろう」というくらいで次のシーンを書いちゃうとか。最後に推敲はするんですけど、推敲はしすぎないように考えました。しすぎないようにと考えるあたりがまた神経質なんですけど(笑)。

――『アメリカ紀行』は2017〜18年にハーヴァード大学での在外研究のためアメリカに滞在した時のエピソードを書かれていました。それがひとつ大きかったんですね。

 大きかったです。あの時、断片的な場面、認識・知覚したもの、気持ちの動きなどをそんなに大きなナラティブにしないで、細かく繋いでいく書き方をしました。それが比較的無理なくできて、そんなに苦しくなかったんですね。これは自分自身の文章の治療の過程だと思っていて、今回の小説も自分と言語の関わりの治療過程の一部なんだろうと思いますね。

 文章の細かい言い回しやリズムなどにやたらとこだわってしまうのは要するに発想が韻文なんですよ。小説を書くよりも前に『現代詩手帖』で詩で書いたこともあるし、哲学以外の文学へのアプローチは最初は詩だったんです。佐藤雄一さんなど何人かの詩人の方との付き合いもある中で現代詩で遊んでいたわけです。その後には俳人の北大路翼さんとの出会いもあって俳句をやったりもして。だからまず韻文というのがあって、それを通してだんだん自分の中で散文を刷新することを考えていったということです。

セクシュアリティの揺れや滲みを描く

――今回、2001〜03年頃の大学院修士の時代を描いたのはなぜでしょう?

 今は完全にSNSの時代になってしまいましたけど、当時はネットもまだまだ発達していなかった時代でした。今はポリティカル・コレクトネス的な考え方も強まっているけれど、それ以前のもっと皆がワイルドに、というと大袈裟ですが、雑に生きていた時代のことを何か書きたいなと思ったんです。

――「僕」の住む久我山、新宿二丁目のゲイバー、下北沢のレストランや居酒屋など、当時の東京が描かれていますが、千葉さんにとって東京とは?

 確かにこれは東京小説ですね。僕にとって東京は「自由の都」であり、特別な思い入れがあります。地元の栃木での狭苦しい価値観からまったく切り離されて好きなことができた。性関係ができるということも含めてです。

 でも東京はどんどん僕が好きだった東京でなくなっていきました。クリーン化が進み、新宿も渋谷もかつての猥雑さが失われてしまった。渋谷もギャルもギャル男もいなくなったし。つまんないですね。

――男性同性愛者の集まるハッテン場を描いたのはなぜでしょうか?

 同性愛をテーマにするならハッテン場を書くしかないだろうと思いました。これまでも書いている人は多少はいましたが、僕なりのやり方で書けるなと思った。ハッテン場は「偶然」の出会いの場所で、ゲイのセックスには、良い意味での愛とは違うというか、その手前にある即物的な出会いという面がある。継続的なパートナーシップを結ぶにはどうするかという問題もあるわけですが、ゲイセックスはやはり「刹那性」の美学と切り離せないと思います。九鬼周造だったら「いき」と言うような。

 昨今、LGBTの公共的承認がますます進み、「良き市民としての性的マイノリティがどうやって社会の中で活躍するか」といったことが強く言われるようになっている。そうするとパートナーシップにせよ何にせよ、どうしても皆に祝福される「正しい愛」ということが前面に出てくる。「男を愛するのも女を愛するのも、愛だという意味では同じだ」みたいな感じになってくるわけですよ。

 だけどこの小説で描かれているように、ノンケの男性に対して疎外感を感じる一方で、ノンケに対する嫌悪感もあるし、かつそれとないまぜとなった憧れもあったりする。ノンケの男性だからこそ性欲を感じるといった屈折した欲望の運動もある。昨今はそうしたことがどんどん見えなくなっている感じがあって、そこを描かなかったらしょうがないだろうと思ったわけです。

――「僕」は中学生時代に好きになった女子がいて、彼女に対する欲望のありようの分析の複雑さが印象に残りました。「彼女をどうしたいということだったのだろう」とあり、それは「抱く」というより「その身体に行く」ことで、「『彼女になる』ことなのではないだろうか」とされていました。

 あれはゲイ一般の話ではなくて、ことこの小説に特殊な文脈ですけど、あの文脈では、ゲイだからといってまったく女性と関係ない存在ではなくて、トランス的な要素が入ってきたり、微妙にヘテロセクシュアルとのスペクトラム(連続)的な部分があったりするということが示唆されている。どんな人でも性的アイデンティティは揺らいでいるわけです。LGBTというものを固定したアイデンティティとして捉えるのは間違っているわけで、どんな当事者でも微妙な揺れや境界の滲みみたいなものを持っているわけです。

小説の構造が対応するのが「ハッテン的」

――本作では様々な出来事が断章形式で書かれていますが、こうした書き方にしたのはなぜでしょうか?

 大きなナラティブで全体を繋ぐよりも、断章のモンタージュのほうが自分にとって自然だからです。それは発想がビジュアルだからだと思います。もともと美術をやっていたこともあるし、映画にも興味がある。映画的な意味でのモンタージュという手法を意識してやっています。

 『アメリカ紀行』でも20個くらいのテーマを立ててからパーツごとに書いて、それを並び替えました。今回もシーンごとに思いつく順番から書いて、カードをシャッフルするように編集する。映画制作のように、まず撮れるところから撮っちゃって、その後で必要なところを切り取ってモンタージュするやり方です。

――大学院の授業で「徳永先生」が言っていたようなことがハッテン場でも起こっていたりと、小説内の様々な出来事がリンクしあっているように感じました。

 この小説は、因果関係というより対応関係によって構成しています。「コレスポンダンス」ですね。「こうだからああなった」と人間の心理や運命を説明するのは性に合わないんです。論文でもそういうことをやるんですが、ある場面の中にひとつの構造があるとすると、それが実は別の場面のメタファーになっていたりする。言葉レベルのメタファーではなくて、構造レベルのメタファーです。ある場面の構造が別の場面の構造を暗示する形になっているという。

 映画で言ったら、あるショットの中で何か台形の構図があるとします。するとまた別のショットで、全然別の文脈なんだけどやっぱり台形の配置が出てくるショットがあると。それは因果関係ではなくて、対応関係なんですね。ゴダールがよくそういうことをやります。それについては友人の平倉圭さんが『ゴダール的方法』という本の中で詳細に分析しています。ただゴダールの影響を受けたというより、元から僕はそういうやり方が好きなんですよね。

 徳永先生の『荘子』の「魚の話」が出てきた後で、別のそれとは縁遠いことが起こっている場面がその話の解釈になっていたりする。それがあちこちに展開する感じです。そのように構造が対応するということが、まさにハッテン的なのです。ある場面と別の場面がまったくの偶然によってセックスをするわけです。小説全体が至るところでハッテンしているんです。

――「ハッテンする」という内容と小説の形式が関連しあっているんですね。

 この小説では、ある一般性を持つことを書いているつもりなんです。実存に関わる一般的問題です。「アイデンティティの多重性」や「欲望とはどういうことか」といった。自分が哲学的に考えてきたことを、ひとつの具体的な身体の動きとして、物語世界の中で展開したらどうなるかということをやっています。

「毎日のツイートも小説だ」と気づいた

――今回小説を書くにあたって、影響を受けた作品はありますか?

 ひとつはベケットですね。去年書き始めた時、出発点にあったのはベケットの後期の『見ちがい言いちがい』です。本当に特異な短編で、息の短い文章で、抽象的で物語も希薄なものです。そのままだと物語的小説には応用が利かないんですけど、シンプルに書いていくということでは参考になりました。

 あともうひとつ挙げると、最近みすず書房から新装復刊が出たパウル・クレーの『クレーの日記』ですね。表紙が黄色いビニールの素敵な装丁で、まさに日記帳みたいで大変お気に入りの本です。日めくりカレンダーみたいにパラパラめくるんですよ。クレーが「どこか散歩に行った」とか「自分の描いた絵についてこう言われた」みたいな日々の出来事をただただ書いている。あったことをただ書くということが参考になりましたね。

 『アメリカ紀行』もそうですが、今回も「日記的なもの」を意識しました。それから自分のTwitterも「日記的なもの」ですね。日本文学には日記ということがひとつの本質としてあると思うんですよ。平安時代から日記文学がある。こんなに日記を書くのは日本文学くらいで、あまり他所にはないことだと思います。自分もTwitterを何年もやり続けていますけど、最近、毎日ツイートしているのは全部小説なんだなと思い至りました。

――今後の執筆活動のご展望を教えてください。

 小説も書き続けます。まだ具体的には決まっていないですけど、しばらくは何か過去が問題になるようなものを書くと思います。

 直近では、新書で現代思想の入門書を出そうと思っています。フーコーやドゥルーズなどの思想をツールとして使えるようにする入門書です。かつ学問的に意味のある新しい捉え方を示したいですね。

 そしてずっと取り組んでいる芸術哲学のプロジェクトがあります。それは「制作の哲学」と呼んでいます。ものをつくるとはどういうことかを原理的に考察しています。小説を書いたり俳句を試したりしているのも、大きな意味ではその芸術哲学研究の一環です。自分でもつくってみて、初めて論点が分かってくる。それは『動きすぎてはいけない』の次の大きな哲学の本になると思います。