先代の「つけ」 必死に知恵絞る若い世代
時は文久2(1862)年。家督を継ぐはずだった兄が急逝し、幼少のみぎりは足軽の子として育てられてきた21歳の小四郎がいきなり大名となった。シンデレラボーイと思いきや、うまい話には裏がある。
藩には25万両もの膨大な借金が積み上がっていた。「武将は金銭になどかかわってはならぬ」と、先祖代々みな金勘定に疎いままで過ごしてきた。父親である隠居した先代も、長きにわたって藩主の座にありながら、何らその状況を変えることはなかった。いまは、小四郎の切腹と引き換えに前代未聞の「計画倒産」を、ひそかにもくろむ。小四郎は、幼なじみらと共に必死に知恵を絞って、財政再建の手がかりを探す。
町人文化が全盛期を迎えた文化文政(1804~30)生まれは、「たぶん先代のようなお気楽おやじばっかりだった。それこそ空白の50年をつくってなんの改革もしなかった」と浅田さん。対して、小四郎たちの世代は「黒船が来た後だから危機感があるんだよ。徳川の幕末史を丁寧に読んでいくと、ああいう親子関係はありだよ」。
まげこそ結ってはいないものの、世代間の価値観の違いや対立は、記者(1992年生まれ)も折にふれて感じてきた。団塊、バブル、ロスジェネ、ゆとり……。経済成長が鈍り、分け合う果実が減るなか、分断の感覚はますます増している。先輩の思い出話を聞いても、どこか別世界のようで、わかり合うことをいつしかあきらめた。
1951年生まれの浅田さんは、先代に似ているという。「僕の世代はスーパージェネレーションといっていい。ぜんぜん苦労していない。高度成長まっただ中よ。就職先もおそらく選び放題」。一方、若い世代については「世代が下れば開明的になるかというと、そんなことはない。今の世の中、若い人たちが保守的になっている。当面食うものに困らないし、現状に満足している人が大多数だから」。
困り果てた小四郎たちを陰ながら手助けするのは、貧乏神や七福神だ。人には見えないけれども、彼らの加護なしに物語は進まない。格差広がる現代には、私たちを救う神仏はもはやいないのか。「実体がわからないだけに、想像させてくれるのが、神様仏様の一番良いところ。僕が明日あたり心臓マヒでぽっくり死んだら、たたりだ、となるわけでしょ。『大名倒産』が100万部売れて大金持ちになっても、ご利益ということになる」
本書の冒頭で、浅田さんが振り返るのは、自身の幼い頃の記憶だ。近所に住んでいた老人は、江戸時代の生まれだった。ボーナス払いなどの慣習にも、月々のほかに年3回に分けて支給された「切米(きりまい)」で盆暮れの払いを済ませた江戸時代の武士の給与体系の名残を見る。
登城の際、畳の縁(へり)に手をついたか否か。江戸時代のお殿様がそんな些末(さまつ)な作法に神経をとがらせるのは、太平の世が続いて積もり積もった「繁文縟礼(はんぶんじょくれい)」にがんじがらめになっているからだ。お中元やお歳暮など、現代に受け継がれた「繁文縟礼」もまだまだありそうだ。「たぶん僕らはほかにも気がつかないところでいまだに江戸時代をやっている。半分くらい江戸時代の延長に生きているんです」(興野優平)=朝日新聞2020年1月29日掲載