走る馬の美しい体躯(たいく)や蹄(ひづめ)が蹴り上げる土、その影さえも見えてくるような小説だ。馬主として競馬にのめり込んでいくワンマン社長とその息子たちの2代記。競馬の世界になじみがない読者も、うまく物語に巻き込んでくれる。
デビュー作の『ひゃくはち』、日本推理作家協会賞を受けた『イノセント・デイズ』など、作品は書く度に映像化されてきた。作家デビューから10年を超え、雑誌の連載小説も複数抱える。だが、近ごろどうしても「書くのがつらい」。それなら書きたいことを書いてみたら、と担当編集者に促され、主題に選んだのが大学時代にのめり込んだ競馬だった。
有馬記念で学費1年分の大金を稼いだこともある。でも、「帰り賃もすって府中の競馬場から家まで歩いて帰った夜の甲州街道の風景がなぜかキラキラした思い出」。血統の掛け合わせや買い付け、調教などレース外で既に始まる馬主同士の戦い、諸条件を整えても最後は偶然に左右される遊戯性、勝っても癒えない馬主の孤独……。関係者らへの取材を元に世界を構築していった。
カズオ・イシグロの『日の名残り』を意識して、「です・ます」調をとることにした。物語のナビゲート役である社長秘書の栗須の造形がかたまり、物語が動き出した。結果を戦績表に語らせるなど、単調になりがちなレースの描写に施された工夫も読みどころだ。
神奈川県出身。都会の誘惑から断絶した場所で執筆に向き合いたいと、ゆかりのない松山市に妻と娘とともに暮らす。離れると見えてくることもある。「東京を出し抜ける地方が出てきたら、そこがキャスティングボートを握る」。東京オリンピック後に起きる社会の構造変化が、作家として正念場だと思っている。(文・写真 板垣麻衣子)=朝日新聞2020年2月1日掲載