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節分の思い出 柴崎友香

 午後八時を過ぎたので、近所のスーパーに行ってきた。割引になっているだろう「恵方巻」を買うためだ。

 食品ロスが問題になっているせいか、それほど残っていなかった。海鮮、ねぎとろ、ロースカツで迷って、ねぎとろ巻にした。

 ロス問題だけでなく、この時期になると、そんな妙な習慣はなかったとか由来が下品だとか、真偽の怪しい説を含めて、様々な言葉が飛び交う。過剰生産や廃棄、ノルマなどの問題は早急に改善してほしいが、節分に巻き寿司(ずし)を食べる行事自体が批判されるのを聞くと、せつない気持ちになってしまう。「恵方巻」なんて名前で大々的に宣伝されたり広範囲で大量販売されなければ、そんなふうに言われなかったのに、と。

 家族で揃(そろ)って食事をすることがあまりなかったわたしには、節分に巻き寿司を丸かじりすることは、子供時代の数少ない和やかな食卓の思い出だ。大阪でも地域や家庭でそれぞれだろうし、商業的に広められたには違いないが、少なくともうちの家では、毎年変わる恵方を向いて巻き寿司を黙って食べるというのをやっていた。ごくオーソドックスな太巻きだった。晩ごはんは父が担当だったから、その日は巻き寿司を買って帰ればよくて楽なのもあっただろう。毎日食事を作っていると、献立を考えるのがとにかく面倒なのだ(便利な合わせ調味料が売れるのも、献立を決められるのが大きい理由だと思う)。

 ねぎとろ巻(ハーフサイズ)はおいしかった。もう一種類買ってきてもよかった。さっきのスーパーで、仕事帰りの一人暮らしっぽい人がロースカツ巻を買っていた。要件である「黙って食べる」は、一人だとそのままだし、二人でも容易に達成できてしまう。家族で賑(にぎ)やかな食卓が大多数だった時代に作られたものなのだな、とも思う。

 子供のころと違って、豪華で変わり種の「巻」があれこれ並んでいる。一年に一度の機会に、一本しか食べられないのが、いつも心残りだ。=朝日新聞2020年2月12日掲載